ドイツ詩

2019年4月19日 (金)

ハーフェル湖の絵葉書 小型版ハーフェル湖名所図絵

マーシャ・カレコ 1907 - 1975 

 

ブランデンブルクの大空に、

掛かった月はまるでキッチな提灯

船名「パヴィヨン」の観光船

週末航行からお帰りだ。

 

夜の中に合唱が闖入しても

ハーフェル湖は口を閉ざしたままだ。

どこかの男声合唱団の前では

カラスも退散するばかり。

 

テーブルから最後の客がよろけて立つと

合唱の終わりの音はぼやけてしまう。

ガーデンカフェ「ヴァルデスラスト」では

蓄音機カリカリ音を立てるだけ。

 

ダンスホールは人気も無く今や灰色

( - 締め勘定の真っ最中)

回転くじの女性さえ

もう引き上げた。

 

ボートからはそこここにひそひそ声。

若いのは家路についたというのに。

- ウォータースポーツは堕落して、

ほとんどがセックスになり果てる。

 

森の五葉松は静かにうなずき、

日曜日はかくして浪費された。

そしてゆっくりと道のアスファルトが

始発の市電にご挨拶

 

 

 

マーシャ・カレコはオーストリア帝国領ガリツィアに生まれたユダヤ系の女流詩人です。ナチを逃れて米国に移民しますが戦後帰国。女性と文学という視点から注目されている様ですが、ベルリンの盛んだった20年代を文章に残してくれたという功績の方が大きい気がします。

 

1920年代(黄金の20年代)当時のベルリンの雰囲気に知識が無いと情緒が伝わりづらい。「げに豊かなる日の本の、橋のたもとの初霞.....」と歌い出される長唄『吾妻八景』に共感できる為には江戸後期についておぼろげながらでも知識が必要です。お江戸日本橋の賑わいが思い浮かばないといけません。

そのため黄金の20年代当時のベルリンの生活をコンチネンタルタンゴの名曲を聞きながらユーチューブでご覧になって下さい。

 

小さな喫茶店     In einer kleinen Konditorei

https://www.youtube.com/watch?v=jkePDOeK964

 

 

 

Kleine Havel-Ansichtskarte

Mascha Kaléko    1907 - 1975

 

Der Mond hängt wie ein Kitsch-Lampion

Am märk'schen Firmament.

Ein Dampfer namens "Pavillon"

Kehrt heim vom Wochenend.

 

Ein Chor klingt in die Nacht hinein,

Da schweigt die Havel stumm.

– Vor einem Herren-Gesangverein

Kehrt manche Krähe um.

 

Vom Schanktisch schwankt der letzte Gast,

Verschwimmt der letzte Ton.

Im Kaffeegarten "Waldesrast"

Plärrt nur das Grammophon.

 

Das Tanzlokal liegt leer und grau.

(– Man zählt den Überschuß)

Jetzt macht selbst die Rotundenfrau

Schon Schluß.

 

Von Booten flüstert's hier und dort.

Die Pärchen ziehn nach Haus.

– Es artet jeder Wassersport

Zumeist in Liebe aus.

 

Noch nicken Föhren leis im Wald.

Der Sonntag ist vertan.

Und langsam grüßt der Stadtasphalt,

Die erste Straßenbahn… 

 

2019年4月17日 (水)

フランス・ドイツ近代詩比較の素人考え

19世紀後半~20世紀前半の詩の世界を仕切っていた国はフランスでした。ボードレールやランボーやマラルメといった天才が詩の世界に輩出したという理由以外に、時代風潮がフランス精神とピッタリ合って、好都合に働いたからだと思います。

 

芸術上の時代精神とは何だったのでしょうか?フランス革命に始まる解放と自由への讃歌がそれでした。

例を絵画ジャンルに採ってみます。昔の絵画画法は決まり事によるがんじがらめの世界でした。(1)何を描くべきか ー 宗教画かギリシャローマ神話の世界。(2)どの様に描くべきか? ー 題材の中心人物は中央に配置される、等々(3)何の為に描くのか?絵画の目的 ー 教化、君主・パトロンの礼賛、等々。ルーベンスがカトリーヌ・ドゥ・メディシスの生涯を描いた連作などその好例です。

こうした決まり事は次々と破られて行きます。束縛・規則からの解放と自由追求の時代です。ドラクロワの描いた自由の女神とピストルを手にした浮浪児が並ぶ構図の『民衆を導く自由の女神』はショックでした。クールベの描いた『エルナン村の埋葬』もショックでした。中央に見えるのは人物ではなく墓穴です。大きくて黒い色面です。こんなものは殺風景不気味ではありませんか。

それに加えて光の効果やオブジェ本来の色調を重視する印象派の登場です。画家・批評家・美術ファンはカフェに陣取ってカンカンガクガクの議論を楽しみます。

 

この時代にはヨーロッパ中で何度も革命が起こりました。政治の世界と並行に進行しつつ、絵画も絵描き達も解放の欲求、自由への志向、個人の独立(個人主義)に夢中になっていたのです。

議論する為には場所が必要ですが、この点もパリは最高の都市でした。大革命前からカフェ文化が花開いていました。思想取締の警察も芸術議論には首が突っ込めません。議論の果てには何が描いてあるかは絵画の本質ではないという絵画の独立性、純粋性に迄及びました。光の効果を科学精神で解明する印象派運動は科学理論重視のスタイルがとてもフランス的です。後期印象派から表現主義、野獣派、シュール、そしてカンディンスキーの抽象絵画に至りました。ここで絵画は主題から解放された訳です。

 

一方ドイツでは市民社会が成熟するにつれ家庭生活に題材を取った実直真面目派と訳すのが良さそうなビーダーマイヤー Biedermeier 様式が流行していました。帝政の謹厳実直趣味とも合っていましたから。遅れてリーバーマンが印象派を導入したものの主流にはなれず、ドイツ本来の美の形を発見したのは表現主義の時代以降だと思います。

 

一言で言えばフランス美術は理屈っぽく、科学精神に富み、どう見えるかという外面重視。だから世界中に抵抗なく愛好家が生まれます。理性と科学精神は万国共通です。

一方ドイツ絵画は真面目題材の情感内面重視派、絵描きの心を探ろうとします。エゴンシーレやベックマンや青騎士グループ Blaue Reiter を思い出して下さい。気韻生動と言うのでしょうか。

 

詩に話を戻します。

フランスの詩はロマン派からボードレールを経て象徴主義に移り、ヴァレリー迄でベルエポックが終わり、ダダイスム、シュールレアリスム経由で現代詩に流れ込む。これが本流だと理解しています。日本での詩の流れもまったく同じで、日本近代詩がフランスを見ながら進んできた事が分かります。英米でもドイツでもなく、フランス詩が日本のお手本でした。何故そうなったのか。

 

一番の理由はフランス詩に於けるローカルカラーの弱さとその反対の普遍性だった様に思います。デカルト、パスカルを思考法の師匠とみなす国柄ですから、場所によって理屈が異なるなどという現実はとても我慢ができません。そこで抽象性の高い、論理の透明度の高い、どこに持って行っても通用する理屈で明晰に論断しようとする傾向が生まれます。例えば人権などという概念は国により時代により様々だと私は思うのですが、大革命当時の人権宣言を強化発展させて「世界中の人間皆同じ」として享受できなければならない実体であるかのごとく扱うのはやり過ぎでしょう。権力の横暴から国民を保護するものが人権の概念の出発点だった筈です。

 

それはともかく、フランス詩の論理は場所や文化伝統に関係なく世界中どこでも適応可能です。ですからドイツにも象徴主義は生まれましたが主流にはなりませんでした。ナポレオンに国を荒らされて以来のフランス嫌いですし、ドイツらしさ Deutschtum に対する思い入れが強かったのでしょう。日本にはフランス嫌いの伝統など有りませんからすんなりフランス流が受け入れられました。そうするとこれが透明性普遍性の高い見事な理屈ですから日本の詩を導く主たる理論になりました。

一方ドイツでは普遍化を嫌って地方色豊かな詩壇が各地に形成されます。その中でとりわけベルリンはドイツ唯一の国際都市として大都市の情緒、ペーソス、日常生活の喜びと悲しみを描く名舞台になりました。

大袈裟を嫌い皮肉とユーモア、自己卑下を特色とした一連の作家が生まれます。とは言っても半世紀前のビーダーマイヤー絵画とは時代性が違います。堅苦しい帝政が終わり、欲望の解放を初めて味わったドイツ人の猥雑趣味が素直に表現されていて黄金の20年代と呼ばれていた時代でした。

2018年12月21日 (金)

浄められた秋

ゲオルク・トラークル (1887 - 1914)

力強く年が終わる。

黄金のワインと庭の果物と共に

周りの森は口を閉ざし、素晴らしい、

そうして独り者の伴侶となる。

土地の男が言う「良いね」と。

夕べの鐘よ、君らは長く小声で鳴り、

終末に朗らかな勇気を与えよ、

渡り鳥が上空から挨拶している。

恋の優しい時間、

小舟に乗り青い川面を下る。

次々と絵が絵に重なり、素敵だ、

静けさと沈黙のうちに小舟は下る。

Georg Trakl (1887 - 1914/11/03)

Verklärter Herbst

オーストリアのザルツブルク生まれ。欧州大戦勃発の1914年、ポーランドのクラカウにあった陸軍病院でコカインを飲みすぎて死亡。事故か自殺かは不明。

欧州大戦前のドイツ語象徴詩を代表すると言われるが、彼の詩は今日でも評価が定まっていません。Wikipediaより抜粋。

シェーンベルクの管弦楽曲に『浄められた夜 Verklärte Nacht』というのがありますので、真似をして私もこの詩の題をそうしました。

2018年9月21日 (金)

ベルリン、お前はドイツのドイツの女

ヴォルフ・ビアマン (1936 ハンブルク生れ)

ベルリン、お前はドイツのドイツの女

俺はお前の求婚者

おお、お前の手はこんなに荒れて

寒さと火炎のせいだ

おお、お前の腰はこんなにか細くなって

お前の広い道路みたいだ

ああ、お前のキスはこんなに味気ないが

俺はもうお前を放ってはおかない

俺はもうお前を置き去りに出かけはしない

西側には壁が立ち塞がり

東側には俺の仲間達

北風は荒っぽい

ベルリン、お前はブロンドのブロンドの女

俺はお前の冷たい求婚者

お前の空は夏至の青空

そこに俺のギターが引っ掛けてある

Wolf Biermann (1936 in Hamburg)

Berlin, du deutsche deutsche Frau

1953年に東独へ移住したり、1960年には東独政権党SEDから公演禁止を命じられたりと、共産党体制内での反体制派だったビアマンはシンガーソングライターとして有名でしたが、詩人でもありました。彼の詩集は戦後ドイツ出版の詩集の内、最も売れたものだったそうです。

ブレヒトの弟子ですから当然社会主義者ですが、人間の顔をした社会主義を目指した反体制派でした。

1950~60年代のベルリンとその気分が描かれていて当時の面影の片鱗を知る身としては、懐かしい気にさせられます。腰回りがか細いとは終戦後の栄養失調、広い道とは砲爆撃で建物が吹き飛んで広く見える市街のことです。ドイツのドイツのと繰り返してありますが、これは西独の東独のと二つのドイツが有った時代だからでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=n7a6M5JOqdc

ユーチューブにこの詩を歌っているビアマンがいました。若い写真です。昔のベルリンを偲ぶ歌ならマルレーネ・ディートリッヒの『私、ベルリンに旅行カバンをまだ一つ残しているの Ich habe noch einen Koffer in Berlin』もお薦めです。こちらもユーチューブで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=d-BLoI-0aFc

「ベルリンにはカバンを一つ残してある。だから行かなくちゃ。思い出はカバンの中にぎっしり。ウィーンやパリも素敵だけど、私には懐かしいあの街が一番.............」という様な歌詞です。

2018年5月25日 (金)

シュペルロンガ浜での二重の出逢い

ローベルト・ゲルンハルト (1937 - 2006)

日はもう傾いていた。

浜辺は広くすいていた。

私の影は前方斜めに伸び、

君の影を追っていた。

君は見知らぬ女性。

君と君の影とが素早く近づく。

君の影は暗く君の肌は白く、

そうして二つは砂の上に来る。

とても美人だし裸も同然

君は僕の前を走って行く。

すると影はもう二つではなくなり、

正確に重なり合う。

僕と影とは君たちをゆっくり検分した。

君と影とは向きを変えなかった。

君と影とは無言で走り去り、

僕と影とのうちの、一人が声を上げた。「アー」。

Roberd Gernhardt (1937 - 2006)

Doppelte Begegnung am Strand von Sperlonga

シュペルロンガはイタリアの浜辺の保養地。この詩はフォーク調に曲が付けられてもいます。高校の国語教科書に鑑賞対象として出てもいるようで、ドイツでは有名なのでしょう。

結局男の思いは実らず女性に振り向いてもらえませんでした。テレビコマーシャルの映像風だと当初軽く考えていたのですが、「......ボードレールの『a une passante (一人の女通行人)』と比べてみよ」という教科書の課題を見たりすると、そう言えばそうだ、と思わせます。

2018年4月10日 (火)

1月の干し物ロープ上の悲しみ

ロルフ=ディーター・ブリンクマン  (1940 - 1975)

針金が一本、曲がって

張られている

二本の枯れ木を結んで、

その木は間もなく又

葉を芽吹くことだろうが、

早朝そこに洗い立ての

黒いパンティーストッキンングが

一つ、ぶら下がり

絡まった

長い脚から水滴が

明るい朝の光の中

石に滴っている。

Rolf Dieter Brinkmann (1940 - 1975)

Trauer auf dem Waeschedraht im Januar

色んなことが想像されます。女だ、一人暮らしだ、離婚したのか、男物は洗っていない。針金を干物ロープの代用に使うくらいだから豊かとは言えない生活だ。悲しみが早朝の日の中で明るく輪郭を際立たせている。1月に晴天とはドイツらしくないが、場所はどこなのだろう。

wikipediaによると何度ものロンドン滞在で発見した米英のポップ詩をドイツに紹介したとありました。即物的な(faktisch)表現とも書いてありました。そう言えばこの詩には感情を現す言葉が一つも使われていません。それだけに滴る水滴が涙を連想させて効果的です。

2018年1月23日 (火)

盲目の斑点

ウラ・ハーン (1946 - )

私たちこんなに違うから一緒にいられるの

あんたはあっちあたしはここ、あたしたち別々の車線

あんたの「こうだった」とあたしの「まだあゝなるかも知れない」

盲目の斑点が二つ現在の中にある

二人は夢見る人間だと、もう分かっているなら

現在は目覚めの前の夢のようなもの

二人がそれぞれこことあそこに戻るまで

現在は一時あたしたちと共に風の中で戯れる

Ulla Hahn (1946 - )

Blinde Flecken

冬の歌

ウラ・ハーン (1946 - )

今日あなたの家を出たとき

初雪が降っていた

そして私は韻律づくりに

頭を痛めていた

目が涙で一杯なのは

寒さのせいではなく

韻を踏まない

何かのせいだった

ああ、私が呼んだとき

あなたはもう遠ざかっていて

それで私は問うた、先夜誰があなたの

韻の中に眠ったのかと

Ulla Hahn (1946 - )

Winterlied

ザールラント州生まれの女性詩人。ungereimtには「韻を踏まない」と「しっくりしない」の二つの意味があります。

詩作の問題、寒さ、しっくり行かなくなった男女関係が絡まって女性的な良い詩になっていると思います。

2017年3月29日 (水)

最後の時間

ペーター・マイヴァルト (1946 - 2008)

あの最後の時間

僕らは何もできなかった。

君は落ち込みたくはなかったし

僕も笑うわけにはいかない。

だから僕らは紙とお喋りの中に

時間を包み込んだ。

それから僕らは二人して外に出た

一人になるとお互い文句を言いながら。

Letzte Stunde

Peter Maiwald (1946 - 2008)

マルセル・ライヒ=ラニッキ選『ドイツ名詩選』より。

最後の、別れても文句を言い合うところがいかにも頑固なドイツ人らしくて、読んでいて吹き出してしまいました。

2017年2月25日 (土)

支えはバラ一本だけ

ヒルデ・ドーミン   (1909 - 2006)

空中に部屋をこしらえます

曲芸師と鳥たちのもとに。

私のベッドは感情の台形の上

枝の先端にあって

風に吹かれる鳥の巣みたい。

優しく刈り取られた羊の、

手触り柔らかな毛でできた

毛布を一枚買います。月光に

照らされた雲が、大地を超えて

伸びてくる、そんなウール。

目を閉じて羊毛の房にくるまる。

小さいひづめの下にある

砂を感じとりたい。

そして家畜小屋の戸を夜閉める

かんぬきのカチリという音が聞きたい。

でも私は鳥の羽に身を包み

空中高く横たわり揺れる身だから

目眩がする。眠れない。

私の手が何か支えを探して伸びるが

見つけた支えはバラ一本だけ

Nur eine Rose als Stuetz

Hilde Domin (1909 - 2006)

『ドイツ名詩100選』より。女流詩人。この詩や他の作品などから推すと易しい文体の庶民派とでも言えるのでしょうか。

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