フランス詩

2019年2月24日 (日)

若き囚われ人

アンドレ・シェニエ   1762 - 1794 

「咲いたばかりの花が 大鎌に刈られて死んだ。

搾り板を思い煩わず ぶどうの実は

黎明の甘い贈り物を 夏中飲んでいる。

私は 花の様に美しく 若いのだから

今という時が 争いと厭わしさに満ちていようとも

未だ死にたくなんか まるでありません。

乾いた目をしたストア派なら 死を抱きしめる事でしょう

私は泣いて願う。 北の黒い風に

私は平身低頭する。

例え日々が苦くとも 甘い日だって有るのだし

嫌な後味の無い 蜂蜜など有るものですか

嵐の無い海など有るものですか。

胸の中には 都合の良い夢想が住み着いていて

牢獄の壁の重みが のしかかって来ても大丈夫

私には 希望の翼が有る

むごい鳥撃ち猟師の 網を逃れて

もっと生き生き もっと幸せに 大空を

フィロメーヌは歌い 飛び立った

私が死ぬの? 私は静かに眠り

静かに目覚めるけど 悔恨の眠りも

目覚めも 囮などではない

私が目をさますと 他の人は微笑んでくれる

打ちのめされた額の人々も 監獄に私がいるのを見て

殆ど喜んで 生気を取り戻す

私の旅路は麗しく 終点までは程遠い

出発 道端の楡の若木だって

未だ数本しか通り過ぎてはいない。

人生の宴は 始まったばかり

たった一度 唇が触れただけなので

我が手の中の盃は まだなみなみとしている。

春だけでは嫌だ 取り入れも見てみたい

太陽の様に 季節から季節へと

私も一年を 過ごしてみたい

茎の上に輝かしく咲き お庭の誇りではあるけれど

私は朝の陽光しか知らない花だ

まる一日を過ごしてみたい。

ああ、死よ! お前、待てるだろうに。あっちへ行け行け

恥や怖れや青白い 絶望に食らわれている

あっちの人たちの所へ行って 慰めておやり

パレースが 緑の翼や愛の接吻や

ミューズのコンサートで 私を待っている

未だちっとも 死にたくはありません。」

悲しくも囚われた、この声、この嘆き、

若い囚われ女の願いを聞いて私の詩心は目覚めた。

退屈な幽閉の日々の無気力を払い落とし

彼女の語る愛らしくナイーブな日常語を

優美な詩法の規則に沿わせてみた。

この歌は私の牢獄の調和の証人であり

探究心と余暇のある愛好家なら

この美人が誰だったのかは突き止め得よう。

典雅の美神が彼女の額と語りを飾っていた。

彼女と識り合った人間はすべて、

自分の時が終了するのを目の当たりにする、

そのことを彼女同様恐れていたものだ。

La Jeune Captive

André Chénier 1762 - 1794

アンドレ・シェニエ   1762 - 1794 

父が領事を勤めていたコンスタンチノープル生まれ。母から堅実な古典教育を受ける。若くしてラテン詩人ヴェルギリウス風の詩を書きました。

フランス革命に当初心酔したものの、程なく革命の残虐さを非難したため生ぬるいと非難され、逮捕斬首されます。断頭台へ登る日を待ちながら書いたのがこの詩です。

詩は若く美しい同房者エメ・ドゥ・コワニー Aimée de Coignyをモデルにしています。彼女こそフルーリー公爵夫人、後にモンロン伯爵夫人としてサロンを主宰した社交界女性でした。牢獄に入っていた時は24歳でした。家来に気の付く男がいて、彼女の名前が処刑予定者リストに載っているのを知るとルイ金貨100枚で順番を後にずらしてもらいました。そしてシェニエが処刑された二日後にロベスピエールが逮捕され恐怖政治が終わり、彼女の方は運良く生きて監獄を出ることができました。(フランス語版ウィキペディアによる)

André CHÉNIER 1762 - 1794

La jeune captive

" L'épi naissant mûrit de la faux respecté ;

Sans crainte du pressoir, le pampre tout l'été

Boit les doux présents de l'aurore ;

Et moi, comme lui belle, et jeune comme lui,

Quoi que l'heure présente ait de trouble et d'ennui,

Je ne veux point mourir encore.

Qu'un stoïque aux yeux secs vole embrasser la mort,

Moi je pleure et j'espère ; au noir souffle du Nord

Je plie et relève ma tête.

S'il est des jours amers, il en est de si doux !

Hélas ! quel miel jamais n'a laissé de dégoûts ?

Quelle mer n'a point de tempête ?

L'illusion féconde habite dans mon sein.

D'une prison sur moi les murs pèsent en vain.

J'ai les ailes de l'espérance :

Échappée aux réseaux de l'oiseleur cruel,

Plus vive, plus heureuse, aux campagnes du ciel

Philomène chante et s'élance.

Est-ce à moi de mourir ? Tranquille je m'endors,

Et tranquille je veille ; et ma veille aux remords

Ni mon sommeil ne sont en proie.

Ma bienvenue au jour me rit dans tous les yeux ;

Sur des fronts abattus, mon aspect dans ces lieux

Ranime presque de la joie.

Mon beau voyage encore est si loin de sa fin !

Je pars, et des ormeaux qui bordent le chemin

J'ai passé les premiers à peine,

Au banquet de la vie à peine commencé,

Un instant seulement mes lèvres ont pressé

La coupe en mes mains encor pleine.

Je ne suis qu'au printemps, je veux voir la moisson ;

Et comme le soleil, de saison en saison,

Je veux achever mon année.

Brillante sur ma tige et l'honneur du jardin,

Je n'ai vu luire encor que les feux du matin ;

Je veux achever ma journée.

Ô mort ! tu peux attendre ; éloigne, éloigne-toi ;

Va consoler les coeurs que la honte, l'effroi,

Le pâle désespoir dévore.

Pour moi Palès encore a des asiles verts,

Les Amours des baisers, les Muses des concerts.

Je ne veux point mourir encore. "

Ainsi, triste et captif, ma lyre toutefois

S'éveillait, écoutant ces plaintes, cette voix,

Ces voeux d'une jeune captive ;

Et secouant le faix de mes jours languissants,

Aux douces lois des vers je pliais les accents

De sa bouche aimable et naïve.

Ces chants, de ma prison témoins harmonieux,

Feront à quelque amant des loisirs studieux

Chercher quelle fut cette belle :

La grâce décorait son front et ses discours,

Et, comme elle, craindront de voir finir leurs jours

Ceux qui les passeront près d'elle.

2019年1月13日 (日)

フランソワ・コペー     (1842/01/26 - 1908/05/23)

僕はもうじき50になる

その事はもう諦めた、神よ感謝します!

だがとても気になる事が有る。

歳をとるほど、泣かなくなった。

でも昔同様、苦しみはあるし

自慢じゃないが

他人の不幸には

ずいぶん心を打たれるし

心から出て目に登る

かつての優しき良き泉、ああ枯れ果てたのか!

泉がもうじき枯れるほど

老け込み過ぎてしまったのか?

苦悩の中にいる友や僕自身をも、

涙があればいっときであれ、

僕の苦痛や彼等のそれを

慰め魅惑し鎮めてくれる。

昨日もそうだ、この厳寒の中

ほとんど裸の貧乏人に

金は恵んでやったけど

単なる習慣行為に過ぎぬ

それに他の晩の哀れな寡婦

絶望の打明け話を聞きながら

僕の目からは同情の

涙一滴流れなかった

本当なのか?腰が曲がっていく様に

心も疲れていくなんて。

関心を持つのは自分の事だけ

老いぼれて、頭を下げて歩むのだろうか?

いや違う、それじゃ半分死んだも同然。

残酷な自然よ、お前の厳しい法則に

逆らいながら言ってやる。

僕の情け心に手を触れるな。

ああ、白髪としわ

これは受け入れる、同意する。

だが、老い果てるまで僕の目は

決して枯れ果てないぞ。

何故って、エゴイストの渇いた眼差しほど

醜く背徳なものは無いからだし、

涙の水はこの世を変える

プリズムだから。

(拙訳)

François Coppée      (1842/01/26 - 1908/05/23)

Les Larmes

コペーはパリとその近郊を歌ったフランスの感傷的詩風を代表する作者です。生前は大変人気がありました。

数年前に産経新聞第一面のコラム欄「産経抄」にコペーの涙の話がでていました。永井荷風の翻訳があるとのことでしたが、探せませんでした。荷風の訳ならきっと流麗なものなのでしょう。

年をとると自分の事しか考えない(自分の財布の事!)心の干からびたガリガリ老人になりやすいのは多分世界共通の人間の悲惨さなのでしょう。個人主義傾向の強いフランスでは一層のことです。

ボードレールにも老いの悲惨を描いた作品が多数ありますが、日本ではあまりこのテーマは人気が無い様で、反対に老人を励ます姿勢の作品の方が人気です。でもこれは現実直視ではないと思います。事実を事実として描くフランスの伝統に照らせば、世界どこでも老いは先ず悲惨ですから。50歳で老年というのも今では変ですが、当時の見方はそんなものだったのでしょう。

Les Larmes

J’AURAI cinquante ans tout à l’heure ;

Je m’y résigne, Dieu merci !

Mais j’ai ce très grave souci :

Plus je vieillis, et moins je pleure.

Je souffre pourtant aujourd’hui

Comme jadis, et je m’honore

De sentir vivement encore

Toutes les misères d’autrui.

Oh ! la bonne source attendrie

Qui me montait du cœur aux yeux !

Suis-je à ce point devenu vieux

Qu’elle soit près d’être tarie ?

Pour mes amis dans la douleur,

Pour moi-même, quoi ? plus de larme

Qui tempère, console et charme,

Un instant, ma peine ou la leur !

Hier encor, par ce froid si rude,

Devant ce pauvre presque nu,

J’ai donné, mais sans être ému,

J’ai donné, mais par habitude ;

Et ce triste veuf, l’autre soir,

― Sans que de mes yeux soit sortie

Une larme de sympathie, ―

M’a confié son désespoir.

Est-ce donc vrai ? Le cœur se lasse,

Comme le corps va se courbant.

En moi seul toujours m’absorbant,

J’irais, vieillard à tête basse ?

Non ! C’est mourir plus qu’à moitié !

Je prétends, cruelle nature,

Résistant à ta loi si dure,

Garder intacte ma pitié…

Oh ! les cheveux blancs et les rides !

Je les accepte, j’y consens ;

Mais, au moins, jusqu’en mes vieux ans,

Que mes yeux ne soient point arides !

Car l’homme n’est laid ni pervers

Qu’au regard sec de l’égoïsme,

Et l’eau d’une larme est un prisme

Qui transfigure l’univers.

2018年11月10日 (土)

酔った気持ち

オディロン=ジャン・ペリエ (1901-1928)

あゝ痛い、古びたキャバレーのカウンター

僕が煙草を吸う場所、髪押し付けて

燃える竪琴の中に

輝くリモナード、リキュールが形作る

パンの笛の中に

夜を閉じ込めた美女は

愛らしいマデーレ・ワインや恥知らずなメントールと

同じ色の目をしている。

僕の苦痛は後光の差したアルコールのせい

マダムは面倒臭そうに両手をあげるが

煙の中で僕らはお互い出会うだろうか?

- それはそれ、ワインの光の中で

ミューズが一人瀕死の傷を負いながら

酔っ払って吠えている、犬みたいに。

Connaissance de l'ivresse

Odion-Jean Perier (1901-1928)

ブリュッセルに生まれて死んだベルギーの近代詩を代表する詩人。近所に住んでいた青年時代のアンリ・ミショーとも交際があったそうです。ブリュッセル派シュールレアリストに属しますが題材は平凡な市民生活の日常から採られたものがほとんどです。(Wikipedia仏語版より)

都会を故郷にする人間に多いはにかみと慎ましさが感じられて、同類である私の好きな詩人です。

2018年11月 4日 (日)

立派な律儀な秋

ジュール・ラフォルグ       (1860-1887)

秋は何時また戻るのか、

とても悲しいあの季節、

芸術家の目で見れば

僕には好ましく思えるが

風は、僕は知ってるが、

我が友人の一人だし、

僕が生まれてこの方ずっと、

僕を呻かせてばかりいた......

それに雪も知っての通り、

その白粉で僕の身体同様に、

僕の愛した肉体から、

僕を守ってくれるのだ.......

そして分かっているが、

秋の陽は

その名ほどには

痛ましくない!......

それに僕の憂鬱が、細かい小雨の

ブリテン島の憂鬱と

同じ道を辿らぬのは

誰にもこれは止められぬこと.....

ああ、秋は僕のものだ、

そして僕、僕は秋のものだ、

丁度全てが「何故?」のために有り、

この世が「それでどうした?」のために有る様に

秋は何時また戻るのか、

とても悲しいあの季節、

芸術家の目で見れば

僕には好ましく思えるが

1874年

Jules Laforgue    1860-1887

Le brave, brave Automne!

ジュール・ラフォルグについては2016年4月10日にアップした『日曜日』に解説があります。

2018年8月29日 (水)

過去はお好きですか?

ポール=ジャン・トゥレ  (1867-1920)

過去はお好きですか?

そして輪郭の消え失せた

思い出の物語を

夢見るのもお好きですか?

古い寝室

アイリスやアンバーでさえ

すべて微かに香る

未亡人たちの歩み

青白い肖像画

死者が接吻した

古びた遺品の数々

大切に、僕もそうしたい

遺品があなたにも大事であり

そして埃っぽく神秘が詰まった

一つの心についてあなたに

少しは語り掛けるなら、素敵だ

Paul-Jean Toulet (1867-1920)

Aimez-vous le passe? (1894)

訳注:ボードレールの『香水瓶 flacon』と同じ情緒だ。

トゥーレはベアルネ地方の詩人。生前は単なる詩のアマチュア愛好家としてのみ知られていた。死後『Les Contrerimes』(反脚韻)という題で短い作品群が刊行された。

精妙な脚韻配置に乗って慎み深い気分が広がって行く。

2018年7月29日 (日)

気取らない詩集/日本

カミーユ・サンサーンス (1835 - 1921)

漆と黄金の夢、魅惑の日本、

近づけない星、目の驚き、

それがそこに輝いている。

日本人のしてのけたこと、他のどの民族も

なし得なかった事、今後も出来ないだろうこと。

魅せられて、自然を超えている。

彼らの天才は雑なクロッキーの中でさえ輝いている。

鳥や魚や木立や紅の蓮の花などの対象を

把握するやり方を心得ているのだ。

幻想的でありながら真実な、彼等の美術では、

月さえ未知の相貌を持っている。

裸であっても、珍しい衣服を着ていても、

日本人は紙で区切られた木造の彼等の家で、朗らかに何の不思議もなく暮らしている。

お米を少しだけ食べ、手職に励み、微笑みながら、

急がずに働く。彼らの望みは花を育てたり、

日本美術が創り上げた飾り物を見て目の保養をし、

唯この人生を楽しむことだ。

彼らの手にかかれば何でも詩になる。日本では遊女さえ、崇められる『微笑みの商人』なのだ。

極東の中でも彼らは東、そしてシナは彼らから見て西方の国。

だが今、彼らは幸福であることに飽いたのだ!

工業というものが必要になった。辛い労働や機械、

叫び、唸り、青空を黒煙で曇らすあの機械というものが必要になった。

無趣味で形も色も無い我々の衣装が必要になった。

我々の低俗さ、みっともない帽子、我々のズボン、わざとっぽい我々の美術そして聖書。

着物を着てはあんなに美しかった日本女性が、

我々の変てこ洋服を着て醜くなろうとしている。

優雅さと奇跡のような優しさ故に、

茎に身を傾ける花のようだった日本女性。

彼女たちには自分の飾りで世界中をうっとりさせ、美の基準軸や愛の主題を変えさせることも出来た。

だが、あの女神の衣装をまとっていた女性は

我々の嫌味な飾り物を身に付けたらメス猿でしかない。

そうなったのだ!日本の葬式をせねばなるまい。

幻想を殺し棺桶に釘を打って閉めねばなるまい。

「昇る朝日の帝国」とは喩えにすぎない。

それは極西、ヨーロッパの猿真似だ。

Camille Saint-Saens (1835 - 1921)

Rimes familieres/Le Japon

サンサーンスは19世紀後半を代表するフランスの作曲家、組曲『動物の謝肉祭』の白鳥や『オルガン協奏曲』などで有名です。同時代のドビュッシーなどの印象派音楽と比べて保守的傾向が強い。

多才な人で詩も残しています。これも音楽同様保守的で、つまり分かり易く、ランボー、マラルメとは大違いです。

フランス人が日本を見るとき、「美を創造する国民」という芸術的な関心が真っ先に来るのは今もこの時代も変わらないのに驚きました。日本人はフランスで尊敬されています。その絵画、建築、庭園、武具、衣裳、それにこの頃は美味しくて美しい和食、その他もろもろの美しいものを産み出す、「フランス人同等の」天才民族と見做されています。世界中で日本かぶれの一番多い国かもしれません。同様日本にもフランスかぶれが多いのはご存知の通り。西のフランス東の日本です。

その点ドイツでの日本イメージと違うのが不思議ですが、きっと日仏は美の領域で波長が合うのでしょう。

一方政治問題になるとフランスの東洋への関心はもっぱらシナ大陸に向かい日本は蚊帳の外です。この詩の後段の様にまるで理解力が足りません。明治初期に必死に西洋化を図った原動力が、「江戸時代を続けていると、上海・香港の様な植民地にされてしまう」という日本人の恐怖心だったのが見えていません。

でもご安心。今やフランスで日本は「伝統と未来が重なる国」という評判を取っているのですから。サンサーンスの失望は杞憂に終わりました。

2017年8月 6日 (日)

刻印

アナ・ド・ノアイユ (1876 - 1933)

私、これ程上手に強く、命を支えにしているのだから、

こんなに荒々しくくっ付いて、あんなに抱きしめあって、

だから優しい日の光が私から奪われる前に

命は私と絡み合って、温められるでしょう。

地球の上にたっぷり広がった海は

水のさまよいの中でも、私の好みを守るでしょう

鋭く辛い苦痛への私の好み

そして動く日々の上では、私を船の様に揺するでしょう。

我が丘の連なりの中に、両目の熱を

私は残しておく。見つめると丘は花盛りだ。

バラの枝の棘先に止まった蝉が

我が欲望の鋭い叫びを震わせる。

春の野の新緑と

掘割の縁のふっくらした芝生とは

これらを押し包む私の両手の影が

まるで翼の様に羽ばたき逃げ去るのを感じるだろう。

私の喜びであり領土でもあった自然は

空中に衰えない私の熱気を吸うでしょう。

そして人の悲しみの鼓動の上に

私は我が心の独特な形を残しおくことでしょう。

『数限りない心(Coeur innombrable)』より

Anna de Noailles (1876 - 1933)

L'empreinte

ギリシャ・ルーマニア王家の血を引く王女としてパリに生まれたアナは、19歳でノアイユ伯爵と結婚する。1901年に『数限りない心(Coeur innombrable)』を刊行し、震える様に情熱的な叙情性で注目を浴びる。一言では言い表せない性格の彼女は程なく自邸に文化サロンを開設。常連にロスタン、クローデル、コクトー、マックス・ジャコブ、ヴァレリーなど当代のエリートを集めた。

ひどく分かりにくい詩です。でも何故か、心惹かれる詩でもあります。

ラルース社刊『フランス名詩100撰』より

2017年6月14日 (水)

亜麻色の髪の乙女

ルコント・ド・リール (1818 - 1894)

花盛りリュゼルヌ草に腰下ろし

朝早くから歌うのだ~れ?

亜麻色の髪の乙女が歌ってる

美女の唇桜桃の色。

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

君の唇色冴え冴えと、

ねえ君、僕をキスへとそそのかす!

花の盛りの草の上、お話が好き?

眉毛の長い、細い巻毛のお嬢さん。

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

駄目と言ってはいけません、冷たい乙女よ!

いいわと言ってもいけません、僕は問いかけしてみたい

君の大きな両眼の長い凝視に

バラの唇に、ああ麗しの人!

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

鹿よさよなら、さよなら兎

赤いウズラもさようなら。

亜麻色の君の髪そして

深紅の唇に、僕は口付けしたいのだ。

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

Leconte de Lisle (1818 - 1894)

la fille aux cheveux de lin

この詩を読んでドビッシーがピアノ曲を作り、それに刺激されたヴィレッジシンガーズの歌で有名になりました。元の詩はあまり知られていないようなので邦訳してみました。シャンソンの様な繰り返し(ルフラン)を持ち、気分は田園風です。

ルコント・ド・リール作詞のフランス歌曲(メロディー)としてはフォーレが作曲した「イスパファンの薔薇」の方が、移り気な娘心を恨む男の哀れさが出ていて優れている様に思います。もっともルコント・ド・リールの作風は難しい仄めかしが多く、分かりづらく、そこが良いのですが、この詩の様に単純なものは例外的です。

2017年4月30日 (日)

パリは二層甲板ガレー船

シャルル・ペギー (1873 - 1914)

ポワン・デュ・ジュールからレバノン杉の木立まで

二層ガレー船が停泊している。グラン・バザールや、官庁の大建築、陰鬱なアルカザールに沿い、

諸個人の生き死にや国家の品格を貫流して。

八十三代の国王、三代の共和制に仕え、

それにナポレオンやアレクサンダー、シーザーに仕え、

我らの父祖はあまたの時化に立ち向かい、

斜めの櫂をとり、忠実に身を挺してきた。

今我らは父祖と同じ樫の長椅子に座し

腰と首と魂を以て櫂を漕ぐ。

樫材のもと、身を屈め、傷を負い、血を流し瀕死になろうとも。

我らの櫂への打撃を持ちこたえ

苦役囚の倅、ガレー船の漕ぎ手として我らは、

セーヌの両岸、ノートルダム寺院の足元に横たわる。

Charles Peguy (1873 - 1914)

Paris double galere

著者はカトリックの詩人で愛国者でした。第一次大戦が勃発すると志願従軍、大戦劈頭のマルヌ川会戦で戦死します。ポワン・デュ・ジュールは15区に在りエッフェル塔の少し下、レバノン杉の木立が有るのは植物園でここはシテ島より上の5区です。

愛国の詩篇を馬鹿にする人がいますが私は好きです。祖国や同胞愛といった言葉がいずれ価値を取り戻すだろうと考えています。大木惇夫の「戦友別杯の歌」など声に出して読むと良いですね。日本と同様フランスにも愛国詩は有ります。むしろ仏独英など欧州の方が本場でしょう。

ペギーは祖国フランスに代々血を以て尽くしてきた先祖をガレー船の漕ぎ手に例え、想像のガレー船をセーヌ川に見ます。伝統を受け継ぐ歴史意識を重視した、往年の武勇の国フランスに相応しい堂々とした詩だと思います。この他にもセーヌに想像力で軍船を描いた詩を作っています。「パリは突撃艦」「パリは戦さ船」。

2017年1月21日 (土)

処女にして気違い、けじめも無くルイ金貨1枚も持たないズュルマの思い出に寄せて

トリスタン・コルビエール(1845 - 1875)

彼女は二十歳と金持ちだった、

僕は20フランと若かった、

それで僕らは一つ財布でやってみた、

或る春の不実な夜に、

底無しに設定した。

月が真ん中に穴を開けた、

5フラン硬貨みたいに丸い、

そこから僕らの財産は流れ去る、

二十歳!20フラン!.....それからお月さま

硬貨で、あらら、20フランだ、

硬貨で、同様に、二十歳だ、

いつでも穴から穴へとお月さま、

そして財布から財布へと共同会計、

殆ど同じ財産だ!

僕は彼女を見出した、たくさんの春、

たくさんの二十歳、たくさんの20フラン、

穴がたくさん、月もたくさんあった。

その後も、彼女はいつだって処女で二十歳、

そしてコミューンの連隊長夫人!

それから、通行人狩り、

20スーで、次いで20フランで、

そしてその後は共同墓地、

月の穴は無いけど、宿泊無料だよ。

Tristan Corbiere (1845 - 1875)

A la memoire de Zulma vierge folle hors barriere et d'un Louis


青春期に結核性リューマチを発症。この病気が原因で30歳を目前にして死亡。学業を諦めてロスコフに居を移しヨットとボヘミアン暮らしを送る。1873年よりパリ住まいとなる。詩集『黄色い愛』を刊行するも皮肉と絶望に彩られた彼の詩は世間に無視された。没後の1885年ヴェルレーヌによりやっとこの「呪われた詩人」が評価されるに至った。

 

ラルース社刊『フランス名詩100撰』より

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