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2018年7月29日 (日)

気取らない詩集/日本

カミーユ・サンサーンス (1835 - 1921)

漆と黄金の夢、魅惑の日本、

近づけない星、目の驚き、

それがそこに輝いている。

日本人のしてのけたこと、他のどの民族も

なし得なかった事、今後も出来ないだろうこと。

魅せられて、自然を超えている。

彼らの天才は雑なクロッキーの中でさえ輝いている。

鳥や魚や木立や紅の蓮の花などの対象を

把握するやり方を心得ているのだ。

幻想的でありながら真実な、彼等の美術では、

月さえ未知の相貌を持っている。

裸であっても、珍しい衣服を着ていても、

日本人は紙で区切られた木造の彼等の家で、朗らかに何の不思議もなく暮らしている。

お米を少しだけ食べ、手職に励み、微笑みながら、

急がずに働く。彼らの望みは花を育てたり、

日本美術が創り上げた飾り物を見て目の保養をし、

唯この人生を楽しむことだ。

彼らの手にかかれば何でも詩になる。日本では遊女さえ、崇められる『微笑みの商人』なのだ。

極東の中でも彼らは東、そしてシナは彼らから見て西方の国。

だが今、彼らは幸福であることに飽いたのだ!

工業というものが必要になった。辛い労働や機械、

叫び、唸り、青空を黒煙で曇らすあの機械というものが必要になった。

無趣味で形も色も無い我々の衣装が必要になった。

我々の低俗さ、みっともない帽子、我々のズボン、わざとっぽい我々の美術そして聖書。

着物を着てはあんなに美しかった日本女性が、

我々の変てこ洋服を着て醜くなろうとしている。

優雅さと奇跡のような優しさ故に、

茎に身を傾ける花のようだった日本女性。

彼女たちには自分の飾りで世界中をうっとりさせ、美の基準軸や愛の主題を変えさせることも出来た。

だが、あの女神の衣装をまとっていた女性は

我々の嫌味な飾り物を身に付けたらメス猿でしかない。

そうなったのだ!日本の葬式をせねばなるまい。

幻想を殺し棺桶に釘を打って閉めねばなるまい。

「昇る朝日の帝国」とは喩えにすぎない。

それは極西、ヨーロッパの猿真似だ。

Camille Saint-Saens (1835 - 1921)

Rimes familieres/Le Japon

サンサーンスは19世紀後半を代表するフランスの作曲家、組曲『動物の謝肉祭』の白鳥や『オルガン協奏曲』などで有名です。同時代のドビュッシーなどの印象派音楽と比べて保守的傾向が強い。

多才な人で詩も残しています。これも音楽同様保守的で、つまり分かり易く、ランボー、マラルメとは大違いです。

フランス人が日本を見るとき、「美を創造する国民」という芸術的な関心が真っ先に来るのは今もこの時代も変わらないのに驚きました。日本人はフランスで尊敬されています。その絵画、建築、庭園、武具、衣裳、それにこの頃は美味しくて美しい和食、その他もろもろの美しいものを産み出す、「フランス人同等の」天才民族と見做されています。世界中で日本かぶれの一番多い国かもしれません。同様日本にもフランスかぶれが多いのはご存知の通り。西のフランス東の日本です。

その点ドイツでの日本イメージと違うのが不思議ですが、きっと日仏は美の領域で波長が合うのでしょう。

一方政治問題になるとフランスの東洋への関心はもっぱらシナ大陸に向かい日本は蚊帳の外です。この詩の後段の様にまるで理解力が足りません。明治初期に必死に西洋化を図った原動力が、「江戸時代を続けていると、上海・香港の様な植民地にされてしまう」という日本人の恐怖心だったのが見えていません。

でもご安心。今やフランスで日本は「伝統と未来が重なる国」という評判を取っているのですから。サンサーンスの失望は杞憂に終わりました。

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