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2017年11月

2017年11月29日 (水)

でこぼこ道

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

古い道、でこぼこなのはわだちの跡か。

雨がひどかったから。

荷馬車のかよった古い道

もう粉挽を止めた古い水車小屋への道

もうお城の無い殿様の道。

首切り役人の道、

郵便馬車の道

四つ辻で交わる道は、みんな草ぼうぼう

水たまりだらけの道

道はみな廃道

丈高い野ばら、りんぼく、ドゥス・アメール草やブリオンヌ草の間

風は洞窟や黄睡蓮の間を吹き抜けるあの風

メランコリーの風

バリバリと雌山羊の脚が踏み砕く薄氷も

落ちかかる夜の前には悲しくなる。

でこぼこ道、雨、灰色の霧氷、

最後のてんとう虫.....。

丈夫な新しい橋で川を越す、新道で行こう。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Le chemin creux

道シリーズは全部で18篇、全て病気にかかる前の13歳~15歳の作品です。

最後の行があっけらかんとしていて面白く感じました。

古く滅びて行くものへの共感を綴り続けて最後に「新道を採ろう」といかにも素直な子供らしい決断が来ます。

サビーヌの家庭は父親が社会主義者の進歩派でしたから、カトリックとは縁の薄い無神論者だったと思われます。楽天的な科学万能主義が主流の時代でしたので、新しいものを素直に良しとして受け入れる風潮が当時の社会全体にありました。

ただお客を招いてのサロンの折には仏教などにも話が及んだそうですから、まったくの唯物論者であったとは言えないでしょう。

2017年11月14日 (火)

サビーヌ・シコー

それからは、忘れました。

本当に、こんなことを、考えたのかしら。

善良なお日様は、ここにいる。

開きかけたネバネバするつぼみの上に。

どこもかしこも奇跡だ。

もう思い出すことのない私の中にも奇跡が。

空は澄んで、ビロードのつぼみの上は陽気で、

お天気が良くて、それだけ。

体を起こす、両腕を善良なお日様に向けて伸ばす。

日に照らされて両腕が、以前の様に、黄金色になり、

6月の葉むらの中の最初のアプリコットになる様に。

笑いつつ速駆けで通る風のもと

道沿いの草は波打つ。

ひなぎくは花を付けた。

行きますよ、行きますよ。ひとりでに私の脚が踊りだす。

笑ってる風の脚みたいだ。

菩提樹の小枝に止まった雀の脚みたい。

(窓の外は灰色だらけ、部屋の中も灰色、雨と霧だらけ、昨日なのでしょうか。)

思い出させないで。空はあんなに軽やかだ。

この軽やかで新鮮な大気が私にはどんなに幸せだか

皆さんには決して分からない。

水濾しの歯の様な緑の小枝、

私きっと夜も昼も漕いだ.....。

思い出させないで。忘れたことなの。

蘆の茂った新しい川岸の上を、私は走っている。

水濾しの緑の小枝か、箱舟の鳩がくわえてきた木の枝。ああ

夢見ごごちの目をした雌山羊が丸く食べた潅木の、緑の美味しさ

綱無しの雌山羊になって、緑の野原の上に陽炎をなす、光り輝く新芽の厚みに目を眩ませて、ー 真っ直ぐ駆ける

きまぐれに流れる水の水音の中、ー 何にでもついて行く

ジャンプする為だけの馬鹿げたジャンプ、ー 笑うという目的だけで風に笑う..........以前の様に。

忘れてしまいました。奇跡の様に忘れてしまったのです。

あなたの顔も、私恨んでいました。私の顔を伺い過ぎるからです。もう思い出せない。

違う顔だった。私の寒がり屋の猫二匹と大柄なディケット犬一頭は他のお仲間で、お行儀の良い人や新顔の人や病み上がりの人用です。

善良なお日様、善良なお日様、私たちここで日にあたります。もうじき金髪色の夏になるこの明るい暑さの中で。

昨日というものはもう有りません。昨日について語ったのは誰?

良い日和です。開いたつぼみの上は陽気で.......。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Printemps

お気付きの様に冬のある日、病床に臥すサビーヌが病に襲われる前の、楽しかった春の日々を回想する詩です。サビーヌは1928年7月12日に死んでいます。病気にかかったのが前年の8~9月ですから、この年の冬の作と考えて良いでしょう。

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