ああ、叫ばせて!
サビーヌ・シコー (1913 - 1928)
ああ、叫ばせて、叫ぶ、叫ぶ........
喉かきむしるまで!
喉かき切られる野獣みたいに、
鍛冶の炉で焼かれる鉄みたいに
のこぎりの歯で噛まれる立木みたいに
ガラス屋さんのハサミの下の板ガラスみたいに...
歯ぎしり、泣き叫び、ぜいぜい喘ぐ。どうでも良いわ、他人がギョッとしようと。あたしには必要なんだ、叫べる極限まで叫ぶこと。
ほかの人?痛みの拷問のせいで、世界でひとりぼっちになる時、よその人がどんなに遠くにいるのか分からないのね!存在すらしないほどよ。
わたし痛みの牢獄の中で、痛みと一緒に孤独なの。
応答?他人からの答えなど期待していません。
気違い女か地獄墜ちみたいに一晩中一日中私が叫び叫んだとしても、他人の助けなど求めません。
前代未聞凶悪に人を殺す、こんな痛みに慣れるなんて、出来ると思います?
神様、この痛みは人殺しです。支那人の拷問みたいに残虐な技法を使います。
痛みは少しずつ強くなり、でも気づかれない様にずる賢く強くなり、自分自身も分からない。
お人好しの私の健康、グズな私の健康、
お前に向かってなのよ、私が叫ぶのは!
叫んでいるのにどうして戻って来てくれないの?
どうして苦痛の中に私を放り出すの、何故なの?
仕返しなの、昔健康のことなんか私まるで考えなかった、そのことの。
毎日の小さな痛みに向かっても何も考えて来なかった.......。
Sabine Sicaud (1913 - 1928)
Ah, laissez-moi crier!
解説 1
サビーヌ・シコー(Sabine Sicaud)は20世紀初めフランスの少女詩人です。1913年南西部のヴィルヌーヴ・シュール・ロ(Villeneuve-sur-Lot)という田舎町で生まれました。赤ワインで有名なボルドーから南東へ150キロぐらいの距離です。1928年生家で息を引き取りました。15歳の短い生涯でした。日本の年号で言えば大正2年生まれ、昭和3年没ですから、中原中也と同じ時代を生きた女性と言えましょう。
サビーヌが他の詩人との際立った違いは主題です。この15歳になるかならぬかの少女は脚の小さな傷が元で骨の壊疽(osteomyelite)に感染し最後の1年は激痛に苦しみながら詩を書き続けました。昭和初めの時代ですから抗生物質も存在せず、医師団がボルドーの病院への入院を勧めるのですが、頑として同意せず、『孤独(solitude)』と名付けた我が家を離れなかったのも当時の医学に大して期待していなかったからでしょう。
モンテーニュが書いている様にフランスでは苦痛に耐える、拷問を耐え忍ぶ、というのが美徳(vertu)であるという伝統があります。サビーヌの文学上の後援者になってくれた伯爵夫人アナ・ドゥ・ノアイユ(Anna de Noailles)も「苦しむという名誉 (l'honneur de souffrir)」と題する詩を残しています。キリスト教の殉教賛美の名残なのでしょうか。ところが14歳のサビーヌは痛み苦しみが大嫌いで、これに向かって呪詛の言葉を投げつけます。人間として自然な振る舞いであり、我慢強いところを周りに見せてカッコイーと思わせようとする思惑などこの少女詩人には無縁でした。痛みがあまりに激しすぎて自己韜晦る余裕などなかったのかも知れません。
いずれにせよ、心の痛みではなく、肉体の痛みを正面から扱った詩は珍しい。中原中也に『妹よ』という詩があり、幼い妹が「もう死んだっていいよう」と苦痛を訴えます。いま痛みに呻く方々には昔こういう詩人がフランスにいた。若干15歳の子供として死んだが、見事に痛みを描き切った詩人でもあった、という事実を知っていただきたいと思い、邦訳を試みました。
私事を申せば訳者は数年来のパーキンソン病に加えて不注意から第4腰椎に圧迫骨折をおこし、腰が曲がった状態となり年来腰痛に苦しんでおります。そんなところでサビーヌに同病あい憐れむ気持ちを抱いたのかも知れませんが、勿論サビーヌの苦痛に比べれば冗談のようなものです。
壊疽発症後の作品に加えて、幸福な少女時代の作品も邦訳するつもりです。子供とは思えない冷徹な観察眼に驚かされます。現実を見つめどんな苦しいことも、汚いことも容赦せずに描こうとする、この幼い個人主義者も又フランスの伝統の中に生きているのだなと感じました。
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