« 2016年9月 | トップページ | 2016年12月 »

2016年10月

2016年10月31日 (月)

11月の公園

ルイ・シャドゥルヌ (1890 - 1925)

霧が並木の曲り角で髪を振り乱している、

バラバラな思い出が一つ、遅れて来て拾われる、

並木にはもの柔らかさが漂い

枯葉の上を歩くように、一つの思いが我々に滑り込む。

11月の公園は君たちの愛を迎え入れる

ああ物思いに耽る青春、ああ衰え行く季節

大公園はメランコリックで、大地に還る死んだ事物の

終末と雨の匂いがしている - 重い空気の湿った匂い

鋭い香を放つ、青白い茎の紫葵は、

すこし曲がって、色褪せて、孤独。

長く透き通った花弁を悲しげに振っているが、

あたかも口づけに血と熱を吸い取られた、繊細すぎる唇が、

己が物憂さを乗せようと、もう一つの口を探しているかの様だ。

霧の大公園はまどろむ。耳の聴こえない熱が、

ああ枯れたバラとアイリスの鋭すぎる香気が - 香と死 -

生暖かい匂いを締め付ける。

匂いの中に汲み尽くされ死んで行く全宇宙。

そして事物の香る悲しみの中に

等間隔に甘い、しめやかな鼓動により、

公園の花それぞれの葉を落とし、たわませながら、

没落の静かにけだるい翼は、そこに憩う。

Louis Chadourne (1890 - 1925)

Jardins de novembre

公園と言えばパリのリュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)が思い出されます。季節や時刻を問わず何度も訪れました。この詩の中の公園の風情とそっくりです。

仏独の詩で秋は嫌な冬の先駆け扱いされる事が多く、実りの秋という描写もありますが大抵は暗いトーンで描かれます。この詩では香と死です。

時間が翼を休めて、時が一時止まる、という例えはよく使われます。ベートーベンの第九交響曲で「喜びよ、汝の優しい翼の留まる所、人類全ては兄弟となる」という一節も似ていますね。

この詩は文章が重ったるく言い回しもくだくだしく、私の趣味ではないのですが、リュクサンブール公園の思い出や訳者の仕事が香を扱っている事もあり、縁を感じて訳してみました。

フランス語のparfum, odeur, senteurに対して日本語にも香り、香気、匂いとありますが、どう対応するのか混乱してしまいました。

シャドゥルヌは文学三人兄弟の長男に生れ、第一次大戦で戦傷を負いそれがもとで若死にした文学者です。長らく忘れられていたそうです。

2016年10月20日 (木)

大都会の目

クルト・トゥホルスキー

朝早く

君が出勤する時、

心配事を抱えて

ホームに立っている時。

そんな時都会は君に

数百万人の人間漏斗の中の君に

アスファルトみたいに滑らかに

二つの見知らぬ目を向ける、一瞥、

眉毛、瞳、まぶた --

何だったのか?もしかして君の生涯の幸運

過ぎてしまった、風に吹かれて、二度と無い。

君は一生のうちに

何千という道を通る。

歩いている道で

君の事を忘れてしまった

あの目を見る

片目が合図する

魂が響く

君は見つけた

ただ数秒だけ

二つの見知らぬ目、一瞥、

眉毛、瞳、まぶた --

何だったのか?誰も時間を戻せはしない.....

過ぎてしまった、風に吹かれて、二度と無い。

君は徒歩で

街々を歩き回る事が有るだろう。

一瞬の間

見知らぬ他人を見る。

敵かもしれない

友かもしれない

闘争中の

同志かもしれない

向こう側に見える

そして立ち去って行く.....

二つの見知らぬ目、一瞥、

眉毛、瞳、まぶた --

何だったのか?

膨大な人数の中の単なる一個!

過ぎてしまった、風に吹かれて、二度と無い。

Kurt TUCHOLSKY (1890 - 1935)

Augen in der Gross-Stadt

ワイマール共和国時代のベルリンを代表するジャーナリスト、著述家。左翼平和主義者、社民党員として多方面で活躍。作家が社会批評をするというハイネの伝統を受け継いだ。現在でもベルリン市民や左派知識人には人気がある。

2016年10月14日 (金)

薪の上に腰掛けて、手にはパイプ

マルクアントワーヌ・ドゥ・サンタマン  (1594 - 1661)

薪の上に腰掛けて、手にはパイプ

悲しくも暖炉に肘をつき

両眼は地面を見つめ、魂は切り刻まれて

僕は考える我が運命の残忍さぶりを

希望が僕をその日その日で支えているが、

頑固な痛みに耐える時間を稼ごうとして、

僕の許へ来ては他の運命を約束したりする、

ローマ皇帝より高い地位に上れるという約束。

だがこうした香草に火がとぼされるや否や、

元へ戻った方が僕には良い様に感じられ、

我が退屈をこう言っては紛らすのだった。

「いや、煙草を吸うのと希望に生きるのとで、

大した差があるとは思えない。

何故って一方は煙だし、もう一方は只の風だ。」

Assis sur un fagot, une pipe a la main

Marc Antoine de Saint-Amant (1594 - 1661)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年12月 »