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2016年9月

2016年9月15日 (木)

一息入れる

ヴィルヘルム・レーマン

二番草の香りが道に漂って、

八月だ。雲一つ無い。

荒々しい風など街道に一切吹かず、

アザミを軽く揺らすには十分な程度。

世界大戦はここでは遥かに過ぎた歴史、

蝶の一遊びに時間が安らう。

モーツァルトは作曲し、シェークスピアは詩を書き、

そんな話を歴史は聴きたがっている。

リンゴがひとつ木から落ち、雌牛は青草を食んでいる。

生垣の切れ目の外、海が青い。

ツィターがドンジョバンニを奏でて、

バッサーニオがポーシャを連れて漕ぎ出したのはベルモントからだ。

怒り狂った者も慰められる。

アテネのタイモンやリア王もだ。

忘れられてしまうという苦痛から逃れて。

ほらもう話をしている。君のかたわらに座って。

時間が静かに立ち止まり、カタツムリは

我が家を引っ張る。コーデリアの静かな笑いは

数世紀の時を超えて響き渡る。何も変わってはいない。

僕は彼女といれば若くなり、国王といれば年老いる。

Atemholen

Wilhelm Lehmann 1882 - 1968

バッサーニオ、ポーシャ、ベルモントは『ベニスの商人』に出る人物と地名。コーデリアはリア王の末娘です。

ヒトラーの尻馬に乗って戦争に突っ込み、大敗を喫して意気消沈だったドイツも戦後の混乱期を過ぎて一息入れているところがこの詩の時期です。そこで「考えてみればドイツ文化はヨーロッパ文明の大きな柱だった、我々はユーロッパ文明国なのだ」という自負心でしょうか。それとも「ヨーロッパは不滅、よって欧州文明の一国たるドイツも不滅」というふてぶてしさでしょうか。EUができる前の、欧州人が欧州への信頼を失っていなかった時代の空気が感じられます。

2016年9月10日 (土)

 怠け者

M.A.サン・タマン

無精と憂鬱に 打ちのめされて

夢見る私は 床の中 まるでベッドの付属品

パテに入ってる骨無しの 野兎同然

或いは鈍い狂気の最中のドンキホーテ 

ここならば イタリア戦役問題も

パラティノ伯や伯爵領問題も 気にかけず

ひたすら捧げる 怠惰への麗しき賛歌

物憂さの中 まるで埋葬された 僕の魂

この楽しみは甘く素敵だ

寝ているうちに 一財産が身に付くかも

だって腹の周りに 脂が付いたんだから

仕事は大嫌いだ だから薄目を開けて

片手を毛布の外に出し ボードワン君よ

気力を奮って 何とかこの詩を書いたのさ

Marc Antoine de Saint-Amant  1594 - 1661

"Le Paresseux"

 

 

作者はルーアンの新教徒廻船問屋の家に生まれました。自由奔放な暮らしを送ったリベルタンの仲間で当然お堅いベルサイユ宮廷からは冷遇異端視されました。この詩からも、能力を認められず本来あるべき地位に就けなかった才人の悲哀と世を拗ねむ感情が読み取れて、サラリーマンなら納得してくれるでしょう。作中の男はふさわしい地位さえ与えられれば、イタリア戦役なりパラティーノ伯爵領交渉なりで大活躍していた筈なのです。怠け者とはだから斜に構えたポーズなのです。

2016年9月 7日 (水)

真夜中近く

エドワルト・メーリケ

ゆったりと夜が野原に立ち上る、

山の端に壁が夢心地もたれかかる。

夜の目は今や黄金の天秤のはかりを見つめている

時を静かに皿に載せた秤だ。

泉は陽気に声を上げ

母親の、夜の、耳元で

今日という日を

今日であった昨日について歌う。

古くて古いまどろみの歌など、

夜は気にしない、うんざりしているのだ。

夜には空の青みの方が甘やかに響く、

同期して波打つくびきの、逃れ去る時間。

だが泉は相も変らず声を上げ

眠りの中でも水は

今日という日を

今日であった昨日について歌い続ける。

Um Mitternacht

Eduard Moerike 1804 - 1875

メーリケの短編『旅の日のモーツァルト』なら読まれた方も多いのではありませんか。

夜をまず擬人化し、次いで光と闇の日々の抗争を天秤ばかりの揺らぎに例え、泉の水音で聴覚を刺激しながら流れ去る時を水流で現して、みごとな作だと思います。

恋愛という事実

エーリッヒ・ケストナー

二人はもう8年も交際している

(交際は順調であったと言い得る)

その愛が突然消えうせてしまった。

他人で言えばステッキや帽子が無くなる様に。

悲しくなった二人は陽気にお互いをだましあい、

キスして何事も無かったかの様に、

見詰め合ったが、その先どうして良いのか分からない。

ついに彼女は泣き出して、男は立ちすくむばかり。

窓から船へ合図もできるそんな場所。

もう⒋時15分だからと彼は言いだす

どこかでコーヒーでも飲む時刻。

隣りでは誰かがピアノのお稽古中。

二人は土地で一番小さいカフェに入った

そしてめいめいカップをかき混ぜた。

夕方になっても二人は相変わらずそこにいた。

座っているのは彼らだけ、一言も口をきかず

そしてもう二人には分からなくなっていた。

Sachliche Romanze

Erich Kaestner 1899 - 1974

とりわけおかしいのが、男が「もう4時15分だからコーヒーの時間だよ」と言い出す箇所です。女との関係や自分の生活史が崩れてゆく最中、困惑して縋ったのが習慣だったという所が何ともおかしい。

2016年9月 5日 (月)

五月

エーリッヒ・ケストナー

DER MAI

Erich Kaestner 1899 - 1974

着込んだ礼服は陽気な放蕩者のそれ、

ほっそりした手には花束の杓、

五月が、カレンダーのモーツァルトが、やって来る、

馬車に乗り、国中に愛嬌を振りまきながら。

花盛り、五月はただ合図するだけだ。

合図する、そして満開の林を駆け抜ける。

ヤマガラが前もって愛想を言い、そしてウソが続く。

それからクジャク蝶がヒラヒラと舞い込む。

柵の向こうの林檎の木は赤みを帯びた。

白樺は緑色の会釈を送る。

ツグミがその小さなフルートで、演奏するのは、

シンフォニー「幸せ」のスケルツォ楽章。

馬車はパステルの息吹の中を通り抜ける。

僕等は帽子を脱いで挨拶。馬車は通り過ぎる。

時間はリラ色の波の中に沈む。

ああ、次の陽気な五月まで一年も待たされるなんて!

メランコリーと喜びは本当は姉妹なのだ。

枝々から降る花の雪。

脈拍の一打ちごとに今日は昨日へと移り行く。

幸せで胸が痛むことも有る。五月がそうだ。

五月が僕らに会釈をして叫んでいる。「又来ますね!」

青空はゆっくりと日暮の黄金色に色を変える。

五月が丘に挨拶し、リラに手を振る。

笑っている。笑っている。そして馬車は駆け抜ける。

DER MAI

Erich Kaestner 1899 - 1974

ケストナーはオーストリアの詩人・劇作家。児童文学家としても有名です。詩の方では、ユーモア豊かな作品で知られています。ドイツの春は遅く、3月は冬の続き、4月は春と冬の中間で雨降りの喜悦ですから、春の訪れが実感できるのは5月です。それで5月は飾り立てたお洒落な月として描かれています。

2016年9月 4日 (日)

ご挨拶 - その二

初めまして、

フランス詩は折に触れて読んできましたがドイツ語の抒情詩は読み出して間もない新参者です。ドイツ詩はネットでも翻訳された作品が少ない様であり、知られないままに見逃されてしまうには勿体無い、そう思われる素敵な作品も有りますので、ボケ予防にもなりそうですし、翻訳してみようと思い立ちました。

訳者は昭和21年生れ、今年平成28年に70歳になった年寄りです。壁崩壊以前の西ベルリンに10年近く住んでいましたが、ろくにドイツ語も勉強せず過ごして来ましたので、いざ翻訳となると昔の怠け癖を悔やむことしきりです。

何の基準もなく素人の年寄りが気ままに選んだ詩です。気楽にお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

同じ訳者によるフランス詩翻訳ページもあります。独仏の趣味というか感性というか、その差が面白く感じられます。中原中也好きはフランス詩に立原道造ファンはドイツ詩に惹かれるのではないか、などと何の根拠も有りませんが想像しています。

お立ち寄り下されば幸いです。

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