2017年3月29日 (水)

最後の時間

ペーター・マイヴァルト (1946 - 2008)

あの最後の時間

僕らは何もできなかった。

君は落ち込みたくはなかったし

僕も笑うわけにはいかない。

だから僕らは紙とお喋りの中に

時間を包み込んだ。

それから僕らは二人して外に出た

一人になるとお互い文句を言いながら。

Letzte Stunde

Peter Maiwald (1946 - 2008)

マルセル・ライヒ=ラニッキ選『ドイツ名詩選』より。

最後の、別れても文句を言い合うところがいかにも頑固なドイツ人らしくて、読んでいて吹き出してしまいました。

2017年2月25日 (土)

支えはバラ一本だけ

ヒルデ・ドーミン   (1909 - 2006)

空中に部屋をこしらえます

曲芸師と鳥たちのもとに。

私のベッドは感情の台形の上

枝の先端にあって

風に吹かれる鳥の巣みたい。

優しく刈り取られた羊の、

手触り柔らかな毛でできた

毛布を一枚買います。月光に

照らされた雲が、大地を超えて

伸びてくる、そんなウール。

目を閉じて羊毛の房にくるまる。

小さいひづめの下にある

砂を感じとりたい。

そして家畜小屋の戸を夜閉める

かんぬきのカチリという音が聞きたい。

でも私は鳥の羽に身を包み

空中高く横たわり揺れる身だから

目眩がする。眠れない。

私の手が何か支えを探して伸びるが

見つけた支えはバラ一本だけ

Nur eine Rose als Stuetz

Hilde Domin (1909 - 2006)

『ドイツ名詩100選』より。女流詩人。この詩や他の作品などから推すと易しい文体の庶民派とでも言えるのでしょうか。

2017年1月21日 (土)

処女にして気違い、けじめも無くルイ金貨1枚も持たないズュルマの思い出に寄せて

トリスタン・コルビエール(1845 - 1875)

彼女は二十歳と金持ちだった、

僕は20フランと若かった、

それで僕らは一つ財布でやってみた、

或る春の不実な夜に、

底無しに設定した。

月が真ん中に穴を開けた、

5フラン硬貨みたいに丸い、

そこから僕らの財産は流れ去る、

二十歳!20フラン!.....それからお月さま

硬貨で、あらら、20フランだ、

硬貨で、同様に、二十歳だ、

いつでも穴から穴へとお月さま、

そして財布から財布へと共同会計、

殆ど同じ財産だ!

僕は彼女を見出した、たくさんの春、

たくさんの二十歳、たくさんの20フラン、

穴がたくさん、月もたくさんあった。

その後も、彼女はいつだって処女で二十歳、

そしてコミューンの連隊長夫人!

それから、通行人狩り、

20スーで、次いで20フランで、

そしてその後は共同墓地、

月の穴は無いけど、宿泊無料だよ。

Tristan Corbiere (1845 - 1875)

A la memoire de Zulma vierge folle hors barriere et d'un Louis


青春期に結核性リューマチを発症。この病気が原因で30歳を目前にして死亡。学業を諦めてロスコフに居を移しヨットとボヘミアン暮らしを送る。1873年よりパリ住まいとなる。詩集『黄色い愛』を刊行するも皮肉と絶望に彩られた彼の詩は世間に無視された。没後の1885年ヴェルレーヌによりやっとこの「呪われた詩人」が評価されるに至った。

 

ラルース社刊『フランス名詩100撰』より

2016年12月29日 (木)

踊り子

エドガー・ドゥガ (1834 - 1917)

踊れ、翼の付いたお転婆、森の芝生の上で、

お前の細い腕は、真っ直ぐ伸びて、跳躍や荷重の釣り合いを取っている。

知っての通り、お前にはセレブな生活をして欲しいのだ。

ニンフよ、優雅女神よ、昔の高みから来ておくれ。

タリオニよ、アルカディアの姫君よ、来ておくれ、

僕が選んだ、不敵な面構えのこの小娘に、

微笑んで、気品を与えて育てておくれ。

モンマルトルがこの娘に、ご先祖の根性をを伝えたとすれば、

ロクスラーヌは鼻を、シナ人は目を与えたのだ、

君の番だアリエルよ、この新入りに伝えて欲しい、

君の軽い昼の足取りと、軽い夜の足取りを。

だが僕の好みとしては、この娘が果実を守り

黄金宮殿に入っても、町娘の生まれ育ちを忘れずにいて欲しいのだ。

Edgar Degas (1834 - 1917)

La Danseuse

ドゥガは印象派の画家、バレーのモチーフ作品で有名です。詩を残しているとは知りませんでした。一行12音節のアレクサンドラン、各詩節は4行-4行-3行-3行のソネットで韻を踏んだ本式のものです。

2016年12月 9日 (金)

こんなに君が好きだった

ヨアヒム・リンゲルナッツ (1883 - 1994)

こんなに君が好きだった!

何のためらいも無く君に

僕のストーブのタイルを一枚

贈り物した事だろう。

君に打ち明けられなかった。

勇気の不足が今は悲しい。

線路の土手に

エニシダが堂々と咲いている。

過ぎた事 - 何年も前だ -

でも決して忘れられない事。

僕は旅をする。

長く続くものは何であれ

小声だ。

時間はあらゆる生き物を

変形する。

犬は吠える。

犬は読めない

犬は書けない

僕等は留まれない。

僕は笑う。

重要なのは

茶漉しの網に

あいた穴だ

こんなに君が好きだった!

Ich habe dich so lieb

Joachim Ringelnatz (1883 - 1994)

ワイマール共和国時代ベルリンで軽演劇(キャバレー)・風刺劇作家、詩人、左翼系ジャーナリストとして活躍。1933年にナチス政権により舞台出場禁止処分を受け翌年病死。

仕出かしてしまった後悔より、しなかった事の後悔の方が後を引くと言いますが、好きな女性に打ち明けられなかった痛みは癒えません。

茶漉し網は記憶が薄れてゆく例えによく使われます。ベルリンの石炭ストーブは大型レンガ状に成型した褐炭をゆっくり燃焼させます。部屋の隅にしつらえてあり、家具と見まごうほど立派な、絵柄タイルを張った角柱です。

2016年10月31日 (月)

11月の公園

ルイ・シャドゥルヌ (1890 - 1925)

霧が並木の曲り角で髪を振り乱している、

バラバラな思い出が一つ、遅れて来て拾われる、

並木にはもの柔らかさが漂い

枯葉の上を歩くように、一つの思いが我々に滑り込む。

11月の公園は君たちの愛を迎え入れる

ああ物思いに耽る青春、ああ衰え行く季節

大公園はメランコリックで、大地に還る死んだ事物の

終末と雨の匂いがしている - 重い空気の湿った匂い

鋭い香を放つ、青白い茎の紫葵は、

すこし曲がって、色褪せて、孤独。

長く透き通った花弁を悲しげに振っているが、

あたかも口づけに血と熱を吸い取られた、繊細すぎる唇が、

己が物憂さを乗せようと、もう一つの口を探しているかの様だ。

霧の大公園はまどろむ。耳の聴こえない熱が、

ああ枯れたバラとアイリスの鋭すぎる香気が - 香と死 -

生暖かい匂いを締め付ける。

匂いの中に汲み尽くされ死んで行く全宇宙。

そして事物の香る悲しみの中に

等間隔に甘い、しめやかな鼓動により、

公園の花それぞれの葉を落とし、たわませながら、

没落の静かにけだるい翼は、そこに憩う。

Louis Chadourne (1890 - 1925)

Jardins de novembre

公園と言えばパリのリュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)が思い出されます。季節や時刻を問わず何度も訪れました。この詩の中の公園の風情とそっくりです。

仏独の詩で秋は嫌な冬の先駆け扱いされる事が多く、実りの秋という描写もありますが大抵は暗いトーンで描かれます。この詩では香と死です。

時間が翼を休めて、時が一時止まる、という例えはよく使われます。ベートーベンの第九交響曲で「喜びよ、汝の優しい翼の留まる所、人類全ては兄弟となる」という一節も似ていますね。

この詩は文章が重ったるく言い回しもくだくだしく、私の趣味ではないのですが、リュクサンブール公園の思い出や訳者の仕事が香を扱っている事もあり、縁を感じて訳してみました。

フランス語のparfum, odeur, senteurに対して日本語にも香り、香気、匂いとありますが、どう対応するのか混乱してしまいました。

シャドゥルヌは文学三人兄弟の長男に生れ、第一次大戦で戦傷を負いそれがもとで若死にした文学者です。長らく忘れられていたそうです。

2016年10月20日 (木)

大都会の目

クルト・トゥホルスキー

朝早く

君が出勤する時、

心配事を抱えて

ホームに立っている時。

そんな時都会は君に

数百万人の人間漏斗の中の君に

アスファルトみたいに滑らかに

二つの見知らぬ目を向ける、一瞥、

眉毛、瞳、まぶた --

何だったのか?もしかして君の生涯の幸運

過ぎてしまった、風に吹かれて、二度と無い。

君は一生のうちに

何千という道を通る。

歩いている道で

君の事を忘れてしまった

あの目を見る

片目が合図する

魂が響く

君は見つけた

ただ数秒だけ

二つの見知らぬ目、一瞥、

眉毛、瞳、まぶた --

何だったのか?誰も時間を戻せはしない.....

過ぎてしまった、風に吹かれて、二度と無い。

君は徒歩で

街々を歩き回る事が有るだろう。

一瞬の間

見知らぬ他人を見る。

敵かもしれない

友かもしれない

闘争中の

同志かもしれない

向こう側に見える

そして立ち去って行く.....

二つの見知らぬ目、一瞥、

眉毛、瞳、まぶた --

何だったのか?

膨大な人数の中の単なる一個!

過ぎてしまった、風に吹かれて、二度と無い。

Kurt TUCHOLSKY (1890 - 1935)

Augen in der Gross-Stadt

ワイマール共和国時代のベルリンを代表するジャーナリスト、著述家。左翼平和主義者、社民党員として多方面で活躍。作家が社会批評をするというハイネの伝統を受け継いだ。現在でもベルリン市民や左派知識人には人気がある。

2016年10月14日 (金)

薪の上に腰掛けて、手にはパイプ

マルクアントワーヌ・ドゥ・サンタマン  (1594 - 1661)

薪の上に腰掛けて、手にはパイプ

悲しくも暖炉に肘をつき

両眼は地面を見つめ、魂は切り刻まれて

僕は考える我が運命の残忍さぶりを

希望が僕をその日その日で支えているが、

頑固な痛みに耐える時間を稼ごうとして、

僕の許へ来ては他の運命を約束したりする、

ローマ皇帝より高い地位に上れるという約束。

だがこうした香草に火がとぼされるや否や、

元へ戻った方が僕には良い様に感じられ、

我が退屈をこう言っては紛らすのだった。

「いや、煙草を吸うのと希望に生きるのとで、

大した差があるとは思えない。

何故って一方は煙だし、もう一方は只の風だ。」

Assis sur un fagot, une pipe a la main

Marc Antoine de Saint-Amant (1594 - 1661)

2016年9月15日 (木)

一息入れる

ヴィルヘルム・レーマン

二番草の香りが道に漂って、

八月だ。雲一つ無い。

荒々しい風など街道に一切吹かず、

アザミを軽く揺らすには十分な程度。

世界大戦はここでは遥かに過ぎた歴史、

蝶の一遊びに時間が安らう。

モーツァルトは作曲し、シェークスピアは詩を書き、

そんな話を歴史は聴きたがっている。

リンゴがひとつ木から落ち、雌牛は青草を食んでいる。

生垣の切れ目の外、海が青い。

ツィターがドンジョバンニを奏でて、

バッサーニオがポーシャを連れて漕ぎ出したのはベルモントからだ。

怒り狂った者も慰められる。

アテネのタイモンやリア王もだ。

忘れられてしまうという苦痛から逃れて。

ほらもう話をしている。君のかたわらに座って。

時間が静かに立ち止まり、カタツムリは

我が家を引っ張る。コーデリアの静かな笑いは

数世紀の時を超えて響き渡る。何も変わってはいない。

僕は彼女といれば若くなり、国王といれば年老いる。

Atemholen

Wilhelm Lehmann 1882 - 1968

バッサーニオ、ポーシャ、ベルモントは『ベニスの商人』に出る人物と地名。コーデリアはリア王の末娘です。

ヒトラーの尻馬に乗って戦争に突っ込み、大敗を喫して意気消沈だったドイツも戦後の混乱期を過ぎて一息入れているところがこの詩の時期です。そこで「考えてみればドイツ文化はヨーロッパ文明の大きな柱だった、我々はユーロッパ文明国なのだ」という自負心でしょうか。それとも「ヨーロッパは不滅、よって欧州文明の一国たるドイツも不滅」というふてぶてしさでしょうか。EUができる前の、欧州人が欧州への信頼を失っていなかった時代の空気が感じられます。

2016年9月10日 (土)

 怠け者

M.A.サン・タマン

無精と憂鬱に 打ちのめされて

夢見る私は 床の中 まるでベッドの付属品

パテに入ってる骨無しの 野兎同然

或いは鈍い狂気の最中のドンキホーテ 

ここならば イタリア戦役問題も

パラティノ伯や伯爵領問題も 気にかけず

ひたすら捧げる 怠惰への麗しき賛歌

物憂さの中 まるで埋葬された 僕の魂

この楽しみは甘く素敵だ

寝ているうちに 一財産が身に付くかも

だって腹の周りに 脂が付いたんだから

仕事は大嫌いだ だから薄目を開けて

片手を毛布の外に出し ボードワン君よ

気力を奮って 何とかこの詩を書いたのさ

Marc Antoine de Saint-Amant  1594 - 1661

"Le Paresseux"

 

 

作者はルーアンの新教徒廻船問屋の家に生まれました。自由奔放な暮らしを送ったリベルタンの仲間で当然お堅いベルサイユ宮廷からは冷遇異端視されました。この詩からも、能力を認められず本来あるべき地位に就けなかった才人の悲哀と世を拗ねむ感情が読み取れて、サラリーマンなら納得してくれるでしょう。作中の男はふさわしい地位さえ与えられれば、イタリア戦役なりパラティーノ伯爵領交渉なりで大活躍していた筈なのです。怠け者とはだから斜に構えたポーズなのです。

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