2018年11月10日 (土)

酔った気持ち

オディロン=ジャン・ペリエ (1901-1928)

あゝ痛い、古びたキャバレーのカウンター

僕が煙草を吸う場所、髪押し付けて

燃える竪琴の中に

輝くリモナード、リキュールが形作る

パンの笛の中に

夜を閉じ込めた美女は

愛らしいマデーレ・ワインや恥知らずなメントールと

同じ色の目をしている。

僕の苦痛は後光の差したアルコールのせい

マダムは面倒臭そうに両手をあげるが

煙の中で僕らはお互い出会うだろうか?

- それはそれ、ワインの光の中で

ミューズが一人瀕死の傷を負いながら

酔っ払って吠えている、犬みたいに。

Connaissance de l'ivresse

Odion-Jean Perier (1901-1928)

ブリュッセルに生まれて死んだベルギーの近代詩を代表する詩人。近所に住んでいた青年時代のアンリ・ミショーとも交際があったそうです。ブリュッセル派シュールレアリストに属しますが題材は平凡な市民生活の日常から採られたものがほとんどです。(Wikipedia仏語版より)

都会を故郷にする人間に多いはにかみと慎ましさが感じられて、同類である私の好きな詩人です。

2018年11月 4日 (日)

立派な律儀な秋

ジュール・ラフォルグ       (1860-1887)

秋は何時また戻るのか、

とても悲しいあの季節、

芸術家の目で見れば

僕には好ましく思えるが

風は、僕は知ってるが、

我が友人の一人だし、

僕が生まれてこの方ずっと、

僕を呻かせてばかりいた......

それに雪も知っての通り、

その白粉で僕の身体同様に、

僕の愛した肉体から、

僕を守ってくれるのだ.......

そして分かっているが、

秋の陽は

その名ほどには

痛ましくない!......

それに僕の憂鬱が、細かい小雨の

ブリテン島の憂鬱と

同じ道を辿らぬのは

誰にもこれは止められぬこと.....

ああ、秋は僕のものだ、

そして僕、僕は秋のものだ、

丁度全てが「何故?」のために有り、

この世が「それでどうした?」のために有る様に

秋は何時また戻るのか、

とても悲しいあの季節、

芸術家の目で見れば

僕には好ましく思えるが

1874年

Jules Laforgue    1860-1887

Le brave, brave Automne!

ジュール・ラフォルグについては2016年4月10日にアップした『日曜日』に解説があります。

2018年9月21日 (金)

ベルリン、お前はドイツのドイツの女

ヴォルフ・ビアマン (1936 ハンブルク生れ)

ベルリン、お前はドイツのドイツの女

俺はお前の求婚者

おお、お前の手はこんなに荒れて

寒さと火炎のせいだ

おお、お前の腰はこんなにか細くなって

お前の広い道路みたいだ

ああ、お前のキスはこんなに味気ないが

俺はもうお前を放ってはおかない

俺はもうお前を置き去りに出かけはしない

西側には壁が立ち塞がり

東側には俺の仲間達

北風は荒っぽい

ベルリン、お前はブロンドのブロンドの女

俺はお前の冷たい求婚者

お前の空は夏至の青空

そこに俺のギターが引っ掛けてある

Wolf Biermann (1936 in Hamburg)

Berlin, du deutsche deutsche Frau

1953年に東独へ移住したり、1960年には東独政権党SEDから公演禁止を命じられたりと、共産党体制内での反体制派だったビアマンはシンガーソングライターとして有名でしたが、詩人でもありました。彼の詩集は戦後ドイツ出版の詩集の内、最も売れたものだったそうです。

ブレヒトの弟子ですから当然社会主義者ですが、人間の顔をした社会主義を目指した反体制派でした。

1950~60年代のベルリンとその気分が描かれていて当時の面影の片鱗を知る身としては、懐かしい気にさせられます。腰回りがか細いとは終戦後の栄養失調、広い道とは砲爆撃で建物が吹き飛んで広く見える市街のことです。ドイツのドイツのと繰り返してありますが、これは西独の東独のと二つのドイツが有った時代だからでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=n7a6M5JOqdc

ユーチューブにこの詩を歌っているビアマンがいました。若い写真です。昔のベルリンを偲ぶ歌ならマルレーネ・ディートリッヒの『私、ベルリンに旅行カバンをまだ一つ残しているの Ich habe noch einen Koffer in Berlin』もお薦めです。こちらもユーチューブで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=d-BLoI-0aFc

「ベルリンにはカバンを一つ残してある。だから行かなくちゃ。思い出はカバンの中にぎっしり。ウィーンやパリも素敵だけど、私には懐かしいあの街が一番.............」という様な歌詞です。

2018年8月29日 (水)

過去はお好きですか?

ポール=ジャン・トゥレ  (1867-1920)

過去はお好きですか?

そして輪郭の消え失せた

思い出の物語を

夢見るのもお好きですか?

古い寝室

アイリスやアンバーでさえ

すべて微かに香る

未亡人たちの歩み

青白い肖像画

死者が接吻した

古びた遺品の数々

大切に、僕もそうしたい

遺品があなたにも大事であり

そして埃っぽく神秘が詰まった

一つの心についてあなたに

少しは語り掛けるなら、素敵だ

Paul-Jean Toulet (1867-1920)

Aimez-vous le passe? (1894)

訳注:ボードレールの『香水瓶 flacon』と同じ情緒だ。

トゥーレはベアルネ地方の詩人。生前は単なる詩のアマチュア愛好家としてのみ知られていた。死後『Les Contrerimes』(反脚韻)という題で短い作品群が刊行された。

精妙な脚韻配置に乗って慎み深い気分が広がって行く。

2018年7月29日 (日)

気取らない詩集/日本

カミーユ・サンサーンス (1835 - 1921)

漆と黄金の夢、魅惑の日本、

近づけない星、目の驚き、

それがそこに輝いている。

日本人のしてのけたこと、他のどの民族も

なし得なかった事、今後も出来ないだろうこと。

魅せられて、自然を超えている。

彼らの天才は雑なクロッキーの中でさえ輝いている。

鳥や魚や木立や紅の蓮の花などの対象を

把握するやり方を心得ているのだ。

幻想的でありながら真実な、彼等の美術では、

月さえ未知の相貌を持っている。

裸であっても、珍しい衣服を着ていても、

日本人は紙で区切られた木造の彼等の家で、朗らかに何の不思議もなく暮らしている。

お米を少しだけ食べ、手職に励み、微笑みながら、

急がずに働く。彼らの望みは花を育てたり、

日本美術が創り上げた飾り物を見て目の保養をし、

唯この人生を楽しむことだ。

彼らの手にかかれば何でも詩になる。日本では遊女さえ、崇められる『微笑みの商人』なのだ。

極東の中でも彼らは東、そしてシナは彼らから見て西方の国。

だが今、彼らは幸福であることに飽いたのだ!

工業というものが必要になった。辛い労働や機械、

叫び、唸り、青空を黒煙で曇らすあの機械というものが必要になった。

無趣味で形も色も無い我々の衣装が必要になった。

我々の低俗さ、みっともない帽子、我々のズボン、わざとっぽい我々の美術そして聖書。

着物を着てはあんなに美しかった日本女性が、

我々の変てこ洋服を着て醜くなろうとしている。

優雅さと奇跡のような優しさ故に、

茎に身を傾ける花のようだった日本女性。

彼女たちには自分の飾りで世界中をうっとりさせ、美の基準軸や愛の主題を変えさせることも出来た。

だが、あの女神の衣装をまとっていた女性は

我々の嫌味な飾り物を身に付けたらメス猿でしかない。

そうなったのだ!日本の葬式をせねばなるまい。

幻想を殺し棺桶に釘を打って閉めねばなるまい。

「昇る朝日の帝国」とは喩えにすぎない。

それは極西、ヨーロッパの猿真似だ。

Camille Saint-Saens (1835 - 1921)

Rimes familieres/Le Japon

サンサーンスは19世紀後半を代表するフランスの作曲家、組曲『動物の謝肉祭』の白鳥や『オルガン協奏曲』などで有名です。同時代のドビュッシーなどの印象派音楽と比べて保守的傾向が強い。

多才な人で詩も残しています。これも音楽同様保守的で、つまり分かり易く、ランボー、マラルメとは大違いです。

フランス人が日本を見るとき、「美を創造する国民」という芸術的な関心が真っ先に来るのは今もこの時代も変わらないのに驚きました。日本人はフランスで尊敬されています。その絵画、建築、庭園、武具、衣裳、それにこの頃は美味しくて美しい和食、その他もろもろの美しいものを産み出す、「フランス人同等の」天才民族と見做されています。世界中で日本かぶれの一番多い国かもしれません。同様日本にもフランスかぶれが多いのはご存知の通り。西のフランス東の日本です。

その点ドイツでの日本イメージと違うのが不思議ですが、きっと日仏は美の領域で波長が合うのでしょう。

一方政治問題になるとフランスの東洋への関心はもっぱらシナ大陸に向かい日本は蚊帳の外です。この詩の後段の様にまるで理解力が足りません。明治初期に必死に西洋化を図った原動力が、「江戸時代を続けていると、上海・香港の様な植民地にされてしまう」という日本人の恐怖心だったのが見えていません。

でもご安心。今やフランスで日本は「伝統と未来が重なる国」という評判を取っているのですから。サンサーンスの失望は杞憂に終わりました。

2018年6月 2日 (土)

砂の道

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

思い出さないで下さい...この道を辿りながら。

思い出さないで下さい...あなたの愛を受け入れたことを。

私たちの歩みは似ていて、

私たちの影は前方、砂の上で一つに重なり、

私たちはとても遠くから、或いはすぐそばで見ているだけだった。

空気は今と丁度同じに匂っていた。

風は海からはやって来なかった。

他のところからも。風は無かった。雲も無かった。

一本松は孤独だった。双子のもう一本は時の中で伐り取られたのだ。

私たちは話をした。或いはしなかった。

私たちは過ぎて行ったが、この麗しい時間が永続することを確信していた!

砂の道で振り向いてはいけない。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Le chemin de sable

アポリネールの『狩の角笛』には「私は度々振り返るだろう」という行がありますし、『思い切って後ろを振り返ってみた』という詩もあります。過去の思い出を壊さないために振り返らない方をサビーヌは選んだようです。

13~14歳の子供の詩とは思えない成熟ぶりが現れている様に思えます。

2018年5月25日 (金)

シュペルロンガ浜での二重の出逢い

ローベルト・ゲルンハルト (1937 - 2006)

日はもう傾いていた。

浜辺は広くすいていた。

私の影は前方斜めに伸び、

君の影を追っていた。

君は見知らぬ女性。

君と君の影とが素早く近づく。

君の影は暗く君の肌は白く、

そうして二つは砂の上に来る。

とても美人だし裸も同然

君は僕の前を走って行く。

すると影はもう二つではなくなり、

正確に重なり合う。

僕と影とは君たちをゆっくり検分した。

君と影とは向きを変えなかった。

君と影とは無言で走り去り、

僕と影とのうちの、一人が声を上げた。「アー」。

Roberd Gernhardt (1937 - 2006)

Doppelte Begegnung am Strand von Sperlonga

シュペルロンガはイタリアの浜辺の保養地。この詩はフォーク調に曲が付けられてもいます。高校の国語教科書に鑑賞対象として出てもいるようで、ドイツでは有名なのでしょう。

結局男の思いは実らず女性に振り向いてもらえませんでした。テレビコマーシャルの映像風だと当初軽く考えていたのですが、「......ボードレールの『a une passante (一人の女通行人)』と比べてみよ」という教科書の課題を見たりすると、そう言えばそうだ、と思わせます。

2018年4月10日 (火)

1月の干し物ロープ上の悲しみ

ロルフ=ディーター・ブリンクマン  (1940 - 1975)

針金が一本、曲がって

張られている

二本の枯れ木を結んで、

その木は間もなく又

葉を芽吹くことだろうが、

早朝そこに洗い立ての

黒いパンティーストッキンングが

一つ、ぶら下がり

絡まった

長い脚から水滴が

明るい朝の光の中

石に滴っている。

Rolf Dieter Brinkmann (1940 - 1975)

Trauer auf dem Waeschedraht im Januar

色んなことが想像されます。女だ、一人暮らしだ、離婚したのか、男物は洗っていない。針金を干物ロープの代用に使うくらいだから豊かとは言えない生活だ。悲しみが早朝の日の中で明るく輪郭を際立たせている。1月に晴天とはドイツらしくないが、場所はどこなのだろう。

wikipediaによると何度ものロンドン滞在で発見した米英のポップ詩をドイツに紹介したとありました。即物的な(faktisch)表現とも書いてありました。そう言えばこの詩には感情を現す言葉が一つも使われていません。それだけに滴る水滴が涙を連想させて効果的です。

2018年3月 4日 (日)

医師団

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

本で調べ物しないで下さい!

生きるのってそんなに複雑なんですか?

私にどんな痛い目を見させるのか、悲しくなるあの医師団....。

わざとだとは思わない

それにいつも人を殺そうと思ってはいまい。

でも大量の薬、注射、

なのに技倆は貧弱?彼等は私を殺す、それは明瞭だ。

冬の間じゅう私を苦しめて、あんなに苦しめて、

ついには占い頼り!

白衣を着て代わる代わる私を触診する彼等を見る。

それから不吉な態度で額を集める。

戦時評議会?閣議?

司教公会議?或いは閂をかけて灯火管制、

地下室でのメロドラマ風共同謀議?

身体がひどくなかったら、私笑い出してしまうところだ。

でもこれは知識の無い、私に向けてなのだ。

私の属するアマチュアに向けて、

医者は何か知っている振りをする。

ブシュ(1)なら千倍も良く分かっている、ああ!

私の古猫ブシュは草を噛み、調合し

いつもそうして病気から治る

別に原因など探さずに。

年寄りブシュ、年寄りブシュは日向ぼっこしながら

医師団の処方薬を小馬鹿にしている!

お前のお腹は温かく、小さいお鼻は紅色。

私にはお前で十分。ブシュ。助けに来ておくれ。

ブシュ Bouchut(1):サビーヌの飼っていた雄猫。鈍そうに見えるが自己治療する分別があった

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Medecins

2018年2月16日 (金)

若葉

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

お前たち、私の方へ手を差し伸べてる、

木々の緑の小さな手、

道端の木々の緑の小さな手。

ところで古びた壁たちは更に少しガタが来て

古びた家たちも傷口を見せているのに、

お前たち、私の方へ手を差し伸べてる、

生垣の花つぼみ、緑の小さな指。

貝殻の形した小さな指、

若く輝かしく、命のぎっしり詰まった、

小さな指

向こうでは古壁が、私の方へ手を差し伸べてる。

古壁が言う「気違い風には気をつけな、

激しい日差しに気をつけな、星の夜には気をつけな、

山羊には、カタツムリには気をつけな、

生きてるものに気をつけな、小さな指よ!」

鉤爪付きで人嫌い、そして優しい緑の小さな指、

どうしてお前たち気持ちが良いの

古壁が今朝カッサンドラ(1)の声を出した。

絹紙の小さな指、

ビロードか、きらめく七宝の小さな指、

どうしてなのかは良く分かってる、

灰色の壁の言うことなぞお前たち、聞きはしない。

ひ弱な緑の扇、次の夏の手、

お前たちが何故古壁や崩れ屋根の言うことを聞かないのか、

我々は良く知っている

古壁を越えて、小さな指の全力で

お前たちは、若さのしるしになっているのだ!

(1)カサンドラはトロイの王女。予言の力があったが聞き入れられず、ギリシャと戦った祖国は滅亡した。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Premieres feuilles

シコー家の庭は広大でしたからこの詩の情景は彼女が毎日現実に目にしていたものでしょう。

春を讃える可愛らしい子供の詩かと思っていると、古壁や崩れ屋根に代表される年寄りの忠告など聞き入れてやるものか、という反抗宣言で終わっています。どうもこの娘さんは、古いものや伝統を役立たずの老いぼれ扱いする傾向が見えて面白くありません。『でこぼこ道』の最終行も「丈夫な新しい橋で川を越す、新道で行こう。」と昔の道は邪魔扱いです。

社会主義者だった弁護士の父親の影響なのでしょうか?

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