2017年11月14日 (火)

サビーヌ・シコー

それからは、忘れました。

本当に、こんなことを、考えたのかしら。

善良なお日様は、ここにいる。

開きかけたネバネバするつぼみの上に。

どこもかしこも奇跡だ。

もう思い出すことのない私の中にも奇跡が。

空は澄んで、ビロードのつぼみの上は陽気で、

お天気が良くて、それだけ。

体を起こす、両腕を善良なお日様に向けて伸ばす。

日に照らされて両腕が、以前の様に、黄金色になり、

6月の葉むらの中の最初のアプリコットになる様に。

笑いつつ速駆けで通る風のもと

道沿いの草は波打つ。

ひなぎくは花を付けた。

行きますよ、行きますよ。ひとりでに私の脚が踊りだす。

笑ってる風の脚みたいだ。

菩提樹の小枝に止まった雀の脚みたい。

(窓の外は灰色だらけ、部屋の中も灰色、雨と霧だらけ、昨日なのでしょうか。)

思い出させないで。空はあんなに軽やかだ。

この軽やかで新鮮な大気が私にはどんなに幸せだか

皆さんには決して分からない。

水濾しの歯の様な緑の小枝、

私きっと夜も昼も漕いだ.....。

思い出させないで。忘れたことなの。

蘆の茂った新しい川岸の上を、私は走っている。

水濾しの緑の小枝か、箱舟の鳩がくわえてきた木の枝。ああ

夢見ごごちの目をした雌山羊が丸く食べた潅木の、緑の美味しさ

綱無しの雌山羊になって、緑の野原の上に陽炎をなす、光り輝く新芽の厚みに目を眩ませて、ー 真っ直ぐ駆ける

きまぐれに流れる水の水音の中、ー 何にでもついて行く

ジャンプする為だけの馬鹿げたジャンプ、ー 笑うという目的だけで風に笑う..........以前の様に。

忘れてしまいました。奇跡の様に忘れてしまったのです。

あなたの顔も、私恨んでいました。私の顔を伺い過ぎるからです。もう思い出せない。

違う顔だった。私の寒がり屋の猫二匹と大柄なディケット犬一頭は他のお仲間で、お行儀の良い人や新顔の人や病み上がりの人用です。

善良なお日様、善良なお日様、私たちここで日にあたります。もうじき金髪色の夏になるこの明るい暑さの中で。

昨日というものはもう有りません。昨日について語ったのは誰?

良い日和です。開いたつぼみの上は陽気で.......。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Printemps

お気付きの様に冬のある日、病床に臥すサビーヌが病に襲われる前の、楽しかった春の日々を回想する詩です。サビーヌは1928年7月12日に死んでいます。病気にかかったのが前年の8~9月ですから、この年の冬の作と考えて良いでしょう。

2017年10月31日 (火)

苦痛よ、私はあなたを憎む

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)



苦しむという名誉

伯爵夫人アナ・ドゥ・ノアイユ

苦痛よ、私はあなたを憎む!ああ、どれほどあなたを憎むことか!

痛み、私はあなたを嫌悪する。怖い、あなたの腹黒い見張り、あなたの通り過ぎた後、体と心に残るおののきが恐ろしい。

あなたの後に、時々はあなたに先んじて、言葉では表せないこうした恐ろしい感じを抱く。

細かい歯を持った目に見えない動物がお人好しの私の健康体へやって来てもぐらの様に私の体を掘り返したり、噛んだり、穴を開けたりする ー 空は真っ青、お日様は穏やかに、水は清らかだと言うのに!

ああ、「苦しむという名誉」ですって!

干からびた唇をした苦しみ。人が何と言おうと、どんな仮面を被ろうと、痛み苦しみは醜い。

雷に打たれる様な、又はしつこい、又は両方でもある苦痛。

私はあなたを罪として見なす。輝く果実の中や緑の葉叢の中で、開け放った窓へ合図を送る庭園の中で、いきいきと優しく生きることへの攻撃と見なす。

アヒル達が池へ向かって陽気に走る。

鳩達が町の上、広がりを狂い飛ぶ。

泳ぎ走り吹く風と闘う、

これは私の権利ではないのか、人生がそこにあるのだから。見掛けは単純に.......そう見掛けはね!

ある日、痛み苦しみという名のあなたと出会うと、

身体は打ち負かされ、精神は弛緩する。

或いはあなたと関わったという名誉を信じるか?

そして言うのだ、苦しむのは多分偉大なことだなどと。

偉大だと?誰が確かなものか、それにそれがどうした。

病名が何であれ、重いか軽いかに関わらず、

無垢で強靭なこの私の中に、明るい顔の喜びがもはや存在しないのであれば、偉大だなどと....。

あなたを高めるためにあなたを讃えて、

詩人は自分自身に嘘をついている。.....私はあなたを憎悪する。

あなたは卑怯だ、不公正だ、犯罪者だ、最悪の裏切りにも手を貸す!私は知っている。今後あなたが倦むことなき敵になるのを。今後は、リラの香りの満ちた穏やかな公園に行っても、砂地や気狂い草が生い茂ったりの秘密の小道に行っても、もはやあなたからは逃れられぬ、あなたを忘れられぬ、ということを。

小さなエプロンをつけて可愛い私の無知。

裸足で袖なし上着、帽子無しの無知。

季節を通して汚れの無かった無知の笑い声が響き渡る。

私の無知、それはあなたと関わる以前のもの。

人に何をされたの、あなたは何をしたの、老いた苦しみよ?

私にとって世界の意味を変えてしまう様な事をあなたは許すのですか?

私はあなたが大嫌いだ。湯気で曇った鏡の奥に映るあの金髪の少女、彼女を殺したあなたが.....。

ほかの少女がいまはいる、青白くて、あんなに違ってしまった!

この少女二人の間にいつもあなたを認めることなんてことに、あたしは馴染めないし馴染みたくもない。

不吉の魔王、若い妖精たちがどんなに人助けの力を振るっても無駄。

昔々....昔々....声は哀れにも押し殺された!

声を生き返らせてくれるのは誰?あの泉の声を私に返してくれるのは誰?妖精の中の妖精、どんな病も治してくれるというあの泉。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Douleur,je vous deteste

2017年10月11日 (水)

診察にいらしたお医者様方へ

サビーヌ・シコー  (1913 - 1928)



「もうできません。もう無理です。見れば分かるでしょうに......。

わたしこれだけしか出来ない。

先生方は私を診察する、でも何もなさらない。

先生方は今日も、何度も前にそうだったのと同じね、私は頑張れるし病気と闘うべきだとおっしゃる。

ご存じないの。私貧弱だけど全力を出しました、わたし。

乏しいけれど勇気を奮いました。でも今私の手に残ったのは努力中折れ、努力騙され。これがどれ程重荷になっているか、知っていて下されば!

何故理解なさらないの?オリーブの林の中で

ナザレのイエズスは泣いた、でも私の落ちた闇の方が彼を取り巻いたのより、もっともっと重いわ。

黒い、みんな醜い、惨め、反吐が出そう、不吉........。

先生方は軽い気持ちで私に微笑むけど無駄よ。だれが頼りになんかするものですか。

明日になればと約束なさるけど、仕草もヘマなら声も嘘声です。明日ですって!救いの手が要るのは今なの、すぐよ。

もう限界......。

耐えられのはこれが全て。これでみんな。

もう駄目。もう無理。もう望まない.......。

私が限界だということを、先生方は無情にも理解できなかったし、理解しようともしなかった。

放置された私、自分の苦しみを自分で苦しんだ。

せめて.........雷に撃たれるみたいに死なせて。

ナイフの一突きでも良い。殴り殺されるのも良い。

眠るように永遠に眠れるファキールの毒はどう?金緑色の。

こんなに苦しんで、夜も昼もこんなに苦しんで、

だから痛みが忘れられるなら、何でもい。」

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Aux medecins qui viennent me voir

サビーヌの死後30年が経った1958年、彼女の未刊行の作品を中心とした『サビーヌ・シコー詩集』が出版されました。彼女の母親と一家とも親しかった文芸評論家フランソワ・ミルピエールの二人が中心になって原稿を整えたものです。

詩集は3部に分かれ、全部で52篇、うち40篇の初出作品を含みます。(1)「子供時代の詩」14篇(2)「道シリーズ」18篇(3)病の苦痛を訴える「痛みよ、私はお前を憎む」12篇(4)ノートに残された未完成の詩稿から成ります。

没後詩集の出版を契機にようやく彼女の作品が注目される様になり、様々なインターネットサイトにも取り上げられています。フランス語の読める方であれば簡単に情報が得られます。

私がサビーヌを知ったのはアマゾンのKindle版フランス名詩選「フランスの名詩一万篇 Collection de poemes; les 10,000 meilleurs ..........」によってでした。わずか15歳でこの世を去り、しかも名詩選に採録される様な質の高い作品を残し、肉体の苦痛というこれ迄軽視されてきた主題に正面から取り組んだ少女詩人がいたのを初めて知りました。

もっと広く知られても良い詩人です。

2017年9月20日 (水)

話します?

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

話します?いいえ、私はダメ。

草木や、菩提樹に止まって何も言わない鳥の様に、苦しむ方が私には良い。

草木や鳥は待っている。良いことだ。あれらが待ちくたびれずに待っているのだから、私も同じ様に待とう。

草木や鳥は一人で苦しんでいる。一人でどう苦しむか、学ばないといけない。

無関心なくせに微笑みを見せたがる人も、友人の呻き声も私は欲しくない。誰も来ませんように。

植物は何も言わない。鳥は黙っている。何を言ったら良いの?この痛みは何と言おうと、世界で唯一つのもの、他人の痛みではない、私の痛みだ。

葉っぱが一枚病んでいても他の葉っぱは気付かない。鳥が一羽病気でも他の鳥には解らない。

知らない、知らない。誰と通じ合えるのか?

人間お互い通じ合えるのかどうか、でもどうでも良いことだ。中身のない言葉など今晩は聞きたくない。

私は待っています。ちょうど窓越しに見える動かない老木や鳴かないパンソン鳥がそうしている様に。

清らかな水の一滴、風が少し、誰に分かるのかしら?木や鳥は何を待っているのかしら?私たち皆んなで一緒に待ちましょう。

彼は来るだろうと太陽が言った、多分.......。

注:パンソン鳥;渡り鳥だそうです。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Vous parlez?

サビーヌの家庭環境は恵まれたものでした。父親は弁護士で社会主義運動の闘士であり、フランス社会党党首ジャン・ジョレスの友人でした。母親はジャーナリストで作家という文芸一家でした。住まいは広い庭を持ち、サビーヌが広大な庭に建つ我が家を『孤独(solitude)』と名付けていたほど、自然の中の生活でした。お金持ちの文化人が社会主義にのめり込んで貧乏人、労働者のために闘うという図式は世界中に多いですね。そんな裕福な一家でした。

受賞歴

1924年 11歳「銀のジャスミン Jasmin d'argent」コンクール第2席

1925年 12歳「ジュー・フローラル・ド・フランス Jeux Floraux de France」グランプリ

作品集

1926年 13歳『子供の詩 Poemes d'enfant』

1956年 没後『サビーヌシコー詩集 Poemes de Sabine Sicaud』

パリで文藝サロンを主宰し彼女自身詩人でもあったノアイユ伯爵夫人アナ・ド・ノアイユにとって、サビーヌの詩は衝撃でした。詩集『子供の詩』にノアイユ伯爵夫人は序文を書いています。子供詩人の事物を見る眼差しの正確さ、更に子供の持つ成熟の度合いに驚嘆しました。言葉の選択は正確精密であり技法豊かと評価しています。自然観察の鋭さと簡潔な表現にも触れています。後の作品になると成熟の度合いは益々深まりノスタルジーに彩られても来ます。

最後の数ヶ月の作品は病気と苦痛が主題になります。

仏文学史の上でもユニークなケースでしょう。

2017年9月10日 (日)

ああ、叫ばせて!

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

ああ、叫ばせて、叫ぶ、叫ぶ........

喉かきむしるまで!

喉かき切られる野獣みたいに、

鍛冶の炉で焼かれる鉄みたいに

のこぎりの歯で噛まれる立木みたいに

ガラス屋さんのハサミの下の板ガラスみたいに...

歯ぎしり、泣き叫び、ぜいぜい喘ぐ。どうでも良いわ、他人がギョッとしようと。あたしには必要なんだ、叫べる極限まで叫ぶこと。

ほかの人?痛みの拷問のせいで、世界でひとりぼっちになる時、よその人がどんなに遠くにいるのか分からないのね!存在すらしないほどよ。

わたし痛みの牢獄の中で、痛みと一緒に孤独なの。

応答?他人からの答えなど期待していません。

気違い女か地獄墜ちみたいに一晩中一日中私が叫び叫んだとしても、他人の助けなど求めません。

前代未聞凶悪に人を殺す、こんな痛みに慣れるなんて、出来ると思います?

神様、この痛みは人殺しです。支那人の拷問みたいに残虐な技法を使います。

痛みは少しずつ強くなり、でも気づかれない様にずる賢く強くなり、自分自身も分からない。

お人好しの私の健康、グズな私の健康、

お前に向かってなのよ、私が叫ぶのは!

叫んでいるのにどうして戻って来てくれないの?

どうして苦痛の中に私を放り出すの、何故なの?

仕返しなの、昔健康のことなんか私まるで考えなかった、そのことの。

毎日の小さな痛みに向かっても何も考えて来なかった.......。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Ah, laissez-moi crier!

解説 1

サビーヌ・シコー(Sabine Sicaud)は20世紀初めフランスの少女詩人です。1913年南西部のヴィルヌーヴ・シュール・ロ(Villeneuve-sur-Lot)という田舎町で生まれました。赤ワインで有名なボルドーから南東へ150キロぐらいの距離です。1928年生家で息を引き取りました。15歳の短い生涯でした。日本の年号で言えば大正2年生まれ、昭和3年没ですから、中原中也と同じ時代を生きた女性と言えましょう。

サビーヌが他の詩人との際立った違いは主題です。この15歳になるかならぬかの少女は脚の小さな傷が元で骨の壊疽(osteomyelite)に感染し最後の1年は激痛に苦しみながら詩を書き続けました。昭和初めの時代ですから抗生物質も存在せず、医師団がボルドーの病院への入院を勧めるのですが、頑として同意せず、『孤独(solitude)』と名付けた我が家を離れなかったのも当時の医学に大して期待していなかったからでしょう。

モンテーニュが書いている様にフランスでは苦痛に耐える、拷問を耐え忍ぶ、というのが美徳(vertu)であるという伝統があります。サビーヌの文学上の後援者になってくれた伯爵夫人アナ・ドゥ・ノアイユ(Anna de Noailles)も「苦しむという名誉 (l'honneur de souffrir)」と題する詩を残しています。キリスト教の殉教賛美の名残なのでしょうか。ところが14歳のサビーヌは痛み苦しみが大嫌いで、これに向かって呪詛の言葉を投げつけます。人間として自然な振る舞いであり、我慢強いところを周りに見せてカッコイーと思わせようとする思惑などこの少女詩人には無縁でした。痛みがあまりに激しすぎて自己韜晦る余裕などなかったのかも知れません。

いずれにせよ、心の痛みではなく、肉体の痛みを正面から扱った詩は珍しい。中原中也に『妹よ』という詩があり、幼い妹が「もう死んだっていいよう」と苦痛を訴えます。いま痛みに呻く方々には昔こういう詩人がフランスにいた。若干15歳の子供として死んだが、見事に痛みを描き切った詩人でもあった、という事実を知っていただきたいと思い、邦訳を試みました。

私事を申せば訳者は数年来のパーキンソン病に加えて不注意から第4腰椎に圧迫骨折をおこし、腰が曲がった状態となり年来腰痛に苦しんでおります。そんなところでサビーヌに同病あい憐れむ気持ちを抱いたのかも知れませんが、勿論サビーヌの苦痛に比べれば冗談のようなものです。

壊疽発症後の作品に加えて、幸福な少女時代の作品も邦訳するつもりです。子供とは思えない冷徹な観察眼に驚かされます。現実を見つめどんな苦しいことも、汚いことも容赦せずに描こうとする、この幼い個人主義者も又フランスの伝統の中に生きているのだなと感じました。

2017年8月 6日 (日)

刻印

アナ・ド・ノアイユ (1876 - 1933)

私、これ程上手に強く、命を支えにしているのだから、

こんなに荒々しくくっ付いて、あんなに抱きしめあって、

だから優しい日の光が私から奪われる前に

命は私と絡み合って、温められるでしょう。

地球の上にたっぷり広がった海は

水のさまよいの中でも、私の好みを守るでしょう

鋭く辛い苦痛への私の好み

そして動く日々の上では、私を船の様に揺するでしょう。

我が丘の連なりの中に、両目の熱を

私は残しておく。見つめると丘は花盛りだ。

バラの枝の棘先に止まった蝉が

我が欲望の鋭い叫びを震わせる。

春の野の新緑と

掘割の縁のふっくらした芝生とは

これらを押し包む私の両手の影が

まるで翼の様に羽ばたき逃げ去るのを感じるだろう。

私の喜びであり領土でもあった自然は

空中に衰えない私の熱気を吸うでしょう。

そして人の悲しみの鼓動の上に

私は我が心の独特な形を残しおくことでしょう。

『数限りない心(Coeur innombrable)』より

Anna de Noailles (1876 - 1933)

L'empreinte

ギリシャ・ルーマニア王家の血を引く王女としてパリに生まれたアナは、19歳でノアイユ伯爵と結婚する。1901年に『数限りない心(Coeur innombrable)』を刊行し、震える様に情熱的な叙情性で注目を浴びる。一言では言い表せない性格の彼女は程なく自邸に文化サロンを開設。常連にロスタン、クローデル、コクトー、マックス・ジャコブ、ヴァレリーなど当代のエリートを集めた。

ひどく分かりにくい詩です。でも何故か、心惹かれる詩でもあります。

ラルース社刊『フランス名詩100撰』より

2017年6月14日 (水)

亜麻色の髪の乙女

ルコント・ド・リール (1818 - 1894)

花盛りリュゼルヌ草に腰下ろし

朝早くから歌うのだ~れ?

亜麻色の髪の乙女が歌ってる

美女の唇桜桃の色。

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

君の唇色冴え冴えと、

ねえ君、僕をキスへとそそのかす!

花の盛りの草の上、お話が好き?

眉毛の長い、細い巻毛のお嬢さん。

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

駄目と言ってはいけません、冷たい乙女よ!

いいわと言ってもいけません、僕は問いかけしてみたい

君の大きな両眼の長い凝視に

バラの唇に、ああ麗しの人!

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

鹿よさよなら、さよなら兎

赤いウズラもさようなら。

亜麻色の君の髪そして

深紅の唇に、僕は口付けしたいのだ。

夏の明るい陽の下で、

恋が歌うね雲雀とともに。

Leconte de Lisle (1818 - 1894)

la fille aux cheveux de lin

この詩を読んでドビッシーがピアノ曲を作り、それに刺激されたヴィレッジシンガーズの歌で有名になりました。元の詩はあまり知られていないようなので邦訳してみました。シャンソンの様な繰り返し(ルフラン)を持ち、気分は田園風です。

ルコント・ド・リール作詞のフランス歌曲(メロディー)としてはフォーレが作曲した「イスパファンの薔薇」の方が、移り気な娘心を恨む男の哀れさが出ていて優れている様に思います。もっともルコント・ド・リールの作風は難しい仄めかしが多く、分かりづらく、そこが良いのですが、この詩の様に単純なものは例外的です。

2017年4月30日 (日)

パリは二層甲板ガレー船

シャルル・ペギー (1873 - 1914)

ポワン・デュ・ジュールからレバノン杉の木立まで

二層ガレー船が停泊している。グラン・バザールや、官庁の大建築、陰鬱なアルカザールに沿い、

諸個人の生き死にや国家の品格を貫流して。

八十三代の国王、三代の共和制に仕え、

それにナポレオンやアレクサンダー、シーザーに仕え、

我らの父祖はあまたの時化に立ち向かい、

斜めの櫂をとり、忠実に身を挺してきた。

今我らは父祖と同じ樫の長椅子に座し

腰と首と魂を以て櫂を漕ぐ。

樫材のもと、身を屈め、傷を負い、血を流し瀕死になろうとも。

我らの櫂への打撃を持ちこたえ

苦役囚の倅、ガレー船の漕ぎ手として我らは、

セーヌの両岸、ノートルダム寺院の足元に横たわる。

Charles Peguy (1873 - 1914)

Paris double galere

著者はカトリックの詩人で愛国者でした。第一次大戦が勃発すると志願従軍、大戦劈頭のマルヌ川会戦で戦死します。ポワン・デュ・ジュールは15区に在りエッフェル塔の少し下、レバノン杉の木立が有るのは植物園でここはシテ島より上の5区です。

愛国の詩篇を馬鹿にする人がいますが私は好きです。祖国や同胞愛といった言葉がいずれ価値を取り戻すだろうと考えています。大木惇夫の「戦友別杯の歌」など声に出して読むと良いですね。日本と同様フランスにも愛国詩は有ります。むしろ仏独英など欧州の方が本場でしょう。

ペギーは祖国フランスに代々血を以て尽くしてきた先祖をガレー船の漕ぎ手に例え、想像のガレー船をセーヌ川に見ます。伝統を受け継ぐ歴史意識を重視した、往年の武勇の国フランスに相応しい堂々とした詩だと思います。この他にもセーヌに想像力で軍船を描いた詩を作っています。「パリは突撃艦」「パリは戦さ船」。

2017年3月29日 (水)

最後の時間

ペーター・マイヴァルト (1946 - 2008)

あの最後の時間

僕らは何もできなかった。

君は落ち込みたくはなかったし

僕も笑うわけにはいかない。

だから僕らは紙とお喋りの中に

時間を包み込んだ。

それから僕らは二人して外に出た

一人になるとお互い文句を言いながら。

Letzte Stunde

Peter Maiwald (1946 - 2008)

マルセル・ライヒ=ラニッキ選『ドイツ名詩選』より。

最後の、別れても文句を言い合うところがいかにも頑固なドイツ人らしくて、読んでいて吹き出してしまいました。

2017年2月25日 (土)

支えはバラ一本だけ

ヒルデ・ドーミン   (1909 - 2006)

空中に部屋をこしらえます

曲芸師と鳥たちのもとに。

私のベッドは感情の台形の上

枝の先端にあって

風に吹かれる鳥の巣みたい。

優しく刈り取られた羊の、

手触り柔らかな毛でできた

毛布を一枚買います。月光に

照らされた雲が、大地を超えて

伸びてくる、そんなウール。

目を閉じて羊毛の房にくるまる。

小さいひづめの下にある

砂を感じとりたい。

そして家畜小屋の戸を夜閉める

かんぬきのカチリという音が聞きたい。

でも私は鳥の羽に身を包み

空中高く横たわり揺れる身だから

目眩がする。眠れない。

私の手が何か支えを探して伸びるが

見つけた支えはバラ一本だけ

Nur eine Rose als Stuetz

Hilde Domin (1909 - 2006)

『ドイツ名詩100選』より。女流詩人。この詩や他の作品などから推すと易しい文体の庶民派とでも言えるのでしょうか。

«処女にして気違い、けじめも無くルイ金貨1枚も持たないズュルマの思い出に寄せて