2018年9月21日 (金)

ベルリン、お前はドイツのドイツの女

ヴォルフ・ビアマン (1936 ハンブルク生れ)

ベルリン、お前はドイツのドイツの女

俺はお前の求婚者

おお、お前の手はこんなに荒れて

寒さと火炎のせいだ

おお、お前の腰はこんなにか細くなって

お前の広い道路みたいだ

ああ、お前のキスはこんなに味気ないが

俺はもうお前を放ってはおかない

俺はもうお前を置き去りに出かけはしない

西側には壁が立ち塞がり

東側には俺の仲間達

北風は荒っぽい

ベルリン、お前はブロンドのブロンドの女

俺はお前の冷たい求婚者

お前の空は夏至の青空

そこに俺のギターが引っ掛けてある

Wolf Biermann (1936 in Hamburg)

Berlin, du deutsche deutsche Frau

1953年に東独へ移住したり、1960年には東独政権党SEDから公演禁止を命じられたりと、共産党体制内での反体制派だったビアマンはシンガーソングライターとして有名でしたが、詩人でもありました。彼の詩集は戦後ドイツ出版の詩集の内、最も売れたものだったそうです。

ブレヒトの弟子ですから当然社会主義者ですが、人間の顔をした社会主義を目指した反体制派でした。

1950~60年代のベルリンとその気分が描かれていて当時の面影の片鱗を知る身としては、懐かしい気にさせられます。腰回りがか細いとは終戦後の栄養失調、広い道とは砲爆撃で建物が吹き飛んで広く見える市街のことです。ドイツのドイツのと繰り返してありますが、これは西独の東独のと二つのドイツが有った時代だからでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=n7a6M5JOqdc

ユーチューブにこの詩を歌っているビアマンがいました。若い写真です。昔のベルリンを偲ぶ歌ならマルレーネ・ディートリッヒの『私、ベルリンに旅行カバンをまだ一つ残しているの Ich habe noch einen Koffer in Berlin』もお薦めです。こちらもユーチューブで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=d-BLoI-0aFc

「ベルリンにはカバンを一つ残してある。だから行かなくちゃ。思い出はカバンの中にぎっしり。ウィーンやパリも素敵だけど、私には懐かしいあの街が一番.............」という様な歌詞です。

2018年8月29日 (水)

過去はお好きですか?

ポール=ジャン・トゥレ  (1867-1920)

過去はお好きですか?

そして輪郭の消え失せた

思い出の物語を

夢見るのもお好きですか?

古い寝室

アイリスやアンバーでさえ

すべて微かに香る

未亡人たちの歩み

青白い肖像画

死者が接吻した

古びた遺品の数々

大切に、僕もそうしたい

遺品があなたにも大事であり

そして埃っぽく神秘が詰まった

一つの心についてあなたに

少しは語り掛けるなら、素敵だ

Paul-Jean Toulet (1867-1920)

Aimez-vous le passe? (1894)

訳注:ボードレールの『香水瓶 flacon』と同じ情緒だ。

トゥーレはベアルネ地方の詩人。生前は単なる詩のアマチュア愛好家としてのみ知られていた。死後『Les Contrerimes』(反脚韻)という題で短い作品群が刊行された。

精妙な脚韻配置に乗って慎み深い気分が広がって行く。

2018年7月29日 (日)

気取らない詩集/日本

カミーユ・サンサーンス (1835 - 1921)

漆と黄金の夢、魅惑の日本、

近づけない星、目の驚き、

それがそこに輝いている。

日本人のしてのけたこと、他のどの民族も

なし得なかった事、今後も出来ないだろうこと。

魅せられて、自然を超えている。

彼らの天才は雑なクロッキーの中でさえ輝いている。

鳥や魚や木立や紅の蓮の花などの対象を

把握するやり方を心得ているのだ。

幻想的でありながら真実な、彼等の美術では、

月さえ未知の相貌を持っている。

裸であっても、珍しい衣服を着ていても、

日本人は紙で区切られた木造の彼等の家で、朗らかに何の不思議もなく暮らしている。

お米を少しだけ食べ、手職に励み、微笑みながら、

急がずに働く。彼らの望みは花を育てたり、

日本美術が創り上げた飾り物を見て目の保養をし、

唯この人生を楽しむことだ。

彼らの手にかかれば何でも詩になる。日本では遊女さえ、崇められる『微笑みの商人』なのだ。

極東の中でも彼らは東、そしてシナは彼らから見て西方の国。

だが今、彼らは幸福であることに飽いたのだ!

工業というものが必要になった。辛い労働や機械、

叫び、唸り、青空を黒煙で曇らすあの機械というものが必要になった。

無趣味で形も色も無い我々の衣装が必要になった。

我々の低俗さ、みっともない帽子、我々のズボン、わざとっぽい我々の美術そして聖書。

着物を着てはあんなに美しかった日本女性が、

我々の変てこ洋服を着て醜くなろうとしている。

優雅さと奇跡のような優しさ故に、

茎に身を傾ける花のようだった日本女性。

彼女たちには自分の飾りで世界中をうっとりさせ、美の基準軸や愛の主題を変えさせることも出来た。

だが、あの女神の衣装をまとっていた女性は

我々の嫌味な飾り物を身に付けたらメス猿でしかない。

そうなったのだ!日本の葬式をせねばなるまい。

幻想を殺し棺桶に釘を打って閉めねばなるまい。

「昇る朝日の帝国」とは喩えにすぎない。

それは極西、ヨーロッパの猿真似だ。

Camille Saint-Saens (1835 - 1921)

Rimes familieres/Le Japon

サンサーンスは19世紀後半を代表するフランスの作曲家、組曲『動物の謝肉祭』の白鳥や『オルガン協奏曲』などで有名です。同時代のドビュッシーなどの印象派音楽と比べて保守的傾向が強い。

多才な人で詩も残しています。これも音楽同様保守的で、つまり分かり易く、ランボー、マラルメとは大違いです。

フランス人が日本を見るとき、「美を創造する国民」という芸術的な関心が真っ先に来るのは今もこの時代も変わらないのに驚きました。日本人はフランスで尊敬されています。その絵画、建築、庭園、武具、衣裳、それにこの頃は美味しくて美しい和食、その他もろもろの美しいものを産み出す、「フランス人同等の」天才民族と見做されています。世界中で日本かぶれの一番多い国かもしれません。同様日本にもフランスかぶれが多いのはご存知の通り。西のフランス東の日本です。

その点ドイツでの日本イメージと違うのが不思議ですが、きっと日仏は美の領域で波長が合うのでしょう。

一方政治問題になるとフランスの東洋への関心はもっぱらシナ大陸に向かい日本は蚊帳の外です。この詩の後段の様にまるで理解力が足りません。明治初期に必死に西洋化を図った原動力が、「江戸時代を続けていると、上海・香港の様な植民地にされてしまう」という日本人の恐怖心だったのが見えていません。

でもご安心。今やフランスで日本は「伝統と未来が重なる国」という評判を取っているのですから。サンサーンスの失望は杞憂に終わりました。

2018年6月 2日 (土)

砂の道

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

思い出さないで下さい...この道を辿りながら。

思い出さないで下さい...あなたの愛を受け入れたことを。

私たちの歩みは似ていて、

私たちの影は前方、砂の上で一つに重なり、

私たちはとても遠くから、或いはすぐそばで見ているだけだった。

空気は今と丁度同じに匂っていた。

風は海からはやって来なかった。

他のところからも。風は無かった。雲も無かった。

一本松は孤独だった。双子のもう一本は時の中で伐り取られたのだ。

私たちは話をした。或いはしなかった。

私たちは過ぎて行ったが、この麗しい時間が永続することを確信していた!

砂の道で振り向いてはいけない。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Le chemin de sable

アポリネールの『狩の角笛』には「私は度々振り返るだろう」という行がありますし、『思い切って後ろを振り返ってみた』という詩もあります。過去の思い出を壊さないために振り返らない方をサビーヌは選んだようです。

13~14歳の子供の詩とは思えない成熟ぶりが現れている様に思えます。

2018年5月25日 (金)

シュペルロンガ浜での二重の出逢い

ローベルト・ゲルンハルト (1937 - 2006)

日はもう傾いていた。

浜辺は広くすいていた。

私の影は前方斜めに伸び、

君の影を追っていた。

君は見知らぬ女性。

君と君の影とが素早く近づく。

君の影は暗く君の肌は白く、

そうして二つは砂の上に来る。

とても美人だし裸も同然

君は僕の前を走って行く。

すると影はもう二つではなくなり、

正確に重なり合う。

僕と影とは君たちをゆっくり検分した。

君と影とは向きを変えなかった。

君と影とは無言で走り去り、

僕と影とのうちの、一人が声を上げた。「アー」。

Roberd Gernhardt (1937 - 2006)

Doppelte Begegnung am Strand von Sperlonga

シュペルロンガはイタリアの浜辺の保養地。この詩はフォーク調に曲が付けられてもいます。高校の国語教科書に鑑賞対象として出てもいるようで、ドイツでは有名なのでしょう。

結局男の思いは実らず女性に振り向いてもらえませんでした。テレビコマーシャルの映像風だと当初軽く考えていたのですが、「......ボードレールの『a une passante (一人の女通行人)』と比べてみよ」という教科書の課題を見たりすると、そう言えばそうだ、と思わせます。

2018年4月10日 (火)

1月の干し物ロープ上の悲しみ

ロルフ=ディーター・ブリンクマン  (1940 - 1975)

針金が一本、曲がって

張られている

二本の枯れ木を結んで、

その木は間もなく又

葉を芽吹くことだろうが、

早朝そこに洗い立ての

黒いパンティーストッキンングが

一つ、ぶら下がり

絡まった

長い脚から水滴が

明るい朝の光の中

石に滴っている。

Rolf Dieter Brinkmann (1940 - 1975)

Trauer auf dem Waeschedraht im Januar

色んなことが想像されます。女だ、一人暮らしだ、離婚したのか、男物は洗っていない。針金を干物ロープの代用に使うくらいだから豊かとは言えない生活だ。悲しみが早朝の日の中で明るく輪郭を際立たせている。1月に晴天とはドイツらしくないが、場所はどこなのだろう。

wikipediaによると何度ものロンドン滞在で発見した米英のポップ詩をドイツに紹介したとありました。即物的な(faktisch)表現とも書いてありました。そう言えばこの詩には感情を現す言葉が一つも使われていません。それだけに滴る水滴が涙を連想させて効果的です。

2018年3月 4日 (日)

医師団

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

本で調べ物しないで下さい!

生きるのってそんなに複雑なんですか?

私にどんな痛い目を見させるのか、悲しくなるあの医師団....。

わざとだとは思わない

それにいつも人を殺そうと思ってはいまい。

でも大量の薬、注射、

なのに技倆は貧弱?彼等は私を殺す、それは明瞭だ。

冬の間じゅう私を苦しめて、あんなに苦しめて、

ついには占い頼り!

白衣を着て代わる代わる私を触診する彼等を見る。

それから不吉な態度で額を集める。

戦時評議会?閣議?

司教公会議?或いは閂をかけて灯火管制、

地下室でのメロドラマ風共同謀議?

身体がひどくなかったら、私笑い出してしまうところだ。

でもこれは知識の無い、私に向けてなのだ。

私の属するアマチュアに向けて、

医者は何か知っている振りをする。

ブシュ(1)なら千倍も良く分かっている、ああ!

私の古猫ブシュは草を噛み、調合し

いつもそうして病気から治る

別に原因など探さずに。

年寄りブシュ、年寄りブシュは日向ぼっこしながら

医師団の処方薬を小馬鹿にしている!

お前のお腹は温かく、小さいお鼻は紅色。

私にはお前で十分。ブシュ。助けに来ておくれ。

ブシュ Bouchut(1):サビーヌの飼っていた雄猫。鈍そうに見えるが自己治療する分別があった

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Medecins

2018年2月16日 (金)

若葉

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

お前たち、私の方へ手を差し伸べてる、

木々の緑の小さな手、

道端の木々の緑の小さな手。

ところで古びた壁たちは更に少しガタが来て

古びた家たちも傷口を見せているのに、

お前たち、私の方へ手を差し伸べてる、

生垣の花つぼみ、緑の小さな指。

貝殻の形した小さな指、

若く輝かしく、命のぎっしり詰まった、

小さな指

向こうでは古壁が、私の方へ手を差し伸べてる。

古壁が言う「気違い風には気をつけな、

激しい日差しに気をつけな、星の夜には気をつけな、

山羊には、カタツムリには気をつけな、

生きてるものに気をつけな、小さな指よ!」

鉤爪付きで人嫌い、そして優しい緑の小さな指、

どうしてお前たち気持ちが良いの

古壁が今朝カッサンドラ(1)の声を出した。

絹紙の小さな指、

ビロードか、きらめく七宝の小さな指、

どうしてなのかは良く分かってる、

灰色の壁の言うことなぞお前たち、聞きはしない。

ひ弱な緑の扇、次の夏の手、

お前たちが何故古壁や崩れ屋根の言うことを聞かないのか、

我々は良く知っている

古壁を越えて、小さな指の全力で

お前たちは、若さのしるしになっているのだ!

(1)カサンドラはトロイの王女。予言の力があったが聞き入れられず、ギリシャと戦った祖国は滅亡した。

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Premieres feuilles

シコー家の庭は広大でしたからこの詩の情景は彼女が毎日現実に目にしていたものでしょう。

春を讃える可愛らしい子供の詩かと思っていると、古壁や崩れ屋根に代表される年寄りの忠告など聞き入れてやるものか、という反抗宣言で終わっています。どうもこの娘さんは、古いものや伝統を役立たずの老いぼれ扱いする傾向が見えて面白くありません。『でこぼこ道』の最終行も「丈夫な新しい橋で川を越す、新道で行こう。」と昔の道は邪魔扱いです。

社会主義者だった弁護士の父親の影響なのでしょうか?

2018年2月 4日 (日)

お医者さん

サビーヌ・シコー (1913 - 1928)

お医者さん誰か一人?先ず美男子であること!

とっても良い男。堂々とした男っぷりでなく

若くて、健康的で、気が利いて、幸福そうなこと!

外から話しかける声も、そんなに大声でなく

でも彼と一緒に太陽が入って来るのに十分な大きさ

笑いを知っている人 - 退屈なときは

部屋の四隅であくびをする -

そしてお前を笑わせられること、お前、

あんなに痛みと十二月病で苦しんでいるお前を。

灰色の十二月、灰色の十二月、失われたクリスマス

鉛色と灰色の空の下

医者は知っていなければならない、

どこからこの灰色の死人が降りて来るのかを。

夜や悪魔じみた発熱を打ち負かすため

医者は明るくなければならない -

待ち望まれた言葉を語り

或いはその唇に読み取らせねばならない

彼は陽気で健康でなければならない、

(病状がやがて安定する日を、四肢が自由になったり、苦労の無い楽々とした精神というものを、信じる必要は無いのだろうか?)

彼は健康でなければならない、

強くなければならない - 横柄なところ無しで

穏やかに運命と立ち向かい

私たちを深く信頼していなければならない!

私の愛するものを愛すべきこと - 彼にはこうした

全てを理解する術が必要だ

そして彼には私の興味を引くことに、

遠くからでなく、近しい友人として

興味をもって欲しい。

彼が善良であります様に - 私たちの反抗とか弱さを受容してくれる、優しい心の広さを持っていますように。

学識?それはあるでしょ、疑いも無く。

もし彼が私の言った、要求した通りの人なら。

でもこんな要求をするなんて、ご存知でしょう、

何もできない連中に奇跡を求めるのと同じ!

学位保持者の中で誰が

病人の願う医師像に似ているのか!

誰がこのしつこい、厚ぼったい、無愛想な灰色の中で

目を閉じた私が見る方なのだろう

だからここで反対の人物像を採用してみよう、

脚の曲がった、怒りっぽく、動きの鈍い惨めな男

案山子の効果判定の様に

治療に効果があるのか動揺し

既知未知を問わず最悪の病気なので

彼には治癒不能に思われる!

青白い年寄り医者を取り上げてみよう、頭はつるつるが良い

目は赤く濁り唇はひび割れ

地上に彼より不安定で、醜く渋い顔をした

生命体は存在しない様に見える

毎朝開きかけた花々越しに彼を見つけると

試合の様に私たちは思うことだるう

ホッとして、気が軽くなり、彼と比べれば

私たちの方がましなのに少し誇らしく、

「あの男、せめて学識でも無いと暮らしていけないわ」

Sabine Sicaud (1913 - 1928)

Un medecin

英語なら a doctor ですから、誰か一人お医者さんを選ぶならといった意味が含まれます。14~15歳の少女にしては観察力が鋭いですね。自分自身を客体化して「お前」と呼び掛けるとき、呼び掛けるサビーヌはどこにいるのでしょう。

ただこうまで子供らしい我がままぶりと頭の良さが結びつくと、小生意気なガキめと感じてしまったりします。

協調性の無さと言いますか、見ず知らずの他人と摩擦を減らしてうまくやって行く能力の不足は学校に通わず家庭教師に勉強を見てもらっていたせいも有るのでしょう。

他人をおだてたり自分がへり下ったり我欲を抑えたりする、いわゆる世渡りを知らずに済んだサビーヌをフランスの評論家は純粋とか天真爛漫 (pure, ingenue)とか形容しています。でもまあ日本基準から言えば、可愛げの無い神妙さの欠けた娘さんではあった様です。

2018年1月23日 (火)

盲目の斑点

ウラ・ハーン (1946 - )

私たちこんなに違うから一緒にいられるの

あんたはあっちあたしはここ、あたしたち別々の車線

あんたの「こうだった」とあたしの「まだあゝなるかも知れない」

盲目の斑点が二つ現在の中にある

二人は夢見る人間だと、もう分かっているなら

現在は目覚めの前の夢のようなもの

二人がそれぞれこことあそこに戻るまで

現在は一時あたしたちと共に風の中で戯れる

Ulla Hahn (1946 - )

Blinde Flecken

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