2012年3月 8日 (木)

オフィス街の梅

やっと梅が咲きました。例年なら2月中旬には満開を迎える梅が、3週間も遅れて今満開です。2月に湯島天満宮へ行ったときはつぼみも硬い有様で梅見どころではありませんでした。梅が有り難いのはその香りに1年待たないと再会出来ない、季節感というか1年という歳月が実感できるところというか、簡単に年中香りが楽しめない、そこが良いのです。

茅場橋は茅場町交差点から水天宮方面へ向かう新大橋通りが日本橋川にかかるところの橋です。茅場町側の南詰めには花王本社があり、小網町側の北詰にはペンテルの本社があり、一つ川上の鎧橋たもとには東京証券取引所があるといったビジネス街の橋です。子供等あまりいませんから橋たもとの児童公園とは名ばかりで、ダークスーツの会社員が日中ぶらぶらする姿を見かける程度で、あまり人だかりはしません。

北詰ペンテル本社斜め前の児童公園の梅をこの近所では定点観測の木にしていますが、そこが満開になりました。紅梅白梅、香りも自動車の排気ガスに負けずにしっかり匂っています。都会のただ中、オフィス街の自然って良いものですね。写真に写っている水面は日本橋川です。高速道路に天井をふさがれてしまい、長唄に出て来るような、「げに豊かなる日の本の橋のたもとの初霞、江戸紫の.......」という風情は感じられなくなっています。
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2012年2月28日 (火)

心とアロマ

一昨日の日曜日八丁堀に在る桜川敬老館(愛称いきいき桜川)で中高年向けのアロマテラピー講習会を開催しました。専門のセラピストの方2名の応援を得て参加者24名満席の盛況でした。

初めに心とアロマと題してパワーポイントスライドを提示しながら10分程度の話をさせて頂きました。
いつも思っているのですが、日本のアロマテラピーはお肌の健康に傾き過ぎている印象を持っています。勿論スキンケアが不要だとか価値が低いと言っているのではありません。そればかりが重視される事への単なる不満です。アロマテラピーは単にお肌の健康を維持する、とても良い方法ではありますが、手段だけではないということです。
中高年になると目の疲れや肩こり腰痛手足の関節から神経痛から何でも不調になります。その対策というか、症状緩和にアロマテラピーは最良の手段だと考えますので、アロマテラピー案内書の著者の方に注文をつけさせて貰えるなら、中高年に典型的な症状ごとにアロマテラピーではこう対処するというアウトラインが語られたらもっと良いと思う訳です。

このところ精神疾患の本を立て続けに読んでいます。
香り信号が視床下部という脳の中枢へ直接伝達される事や、その中枢がホルモンバランスや自律神経系統を統御して生命維持の根幹を担当したり、感情よりもっと根底的な「気分」を整えていることを読むたびにアロマテラピーは精神に働きかけられる筈だという想いを強めてきました。
中高年の鬱病が話題になっています。鬱病の厄介なのは自殺を招き易い点です。鬱病の人がみんな自殺するというわけではありませんが、自殺者の殆どはうつ病或は直前に鬱状態に陥っているそうです。

2004/05/22朝日新聞の記事によりますと、軽症の鬱病の患者5人に一回30分のアロママッサージを週2回ずつ4週間実施して変化を見ると、うつ状態の評価尺度が通常と変わらなくなった。という結果が出たそうです。京都府立医大の今西二郎教授チームの実験。
鬱病患者の半数以上が発症前に不眠症に悩んでいたという記事も読みました。ラベンダーの香りが不眠症に効くのはアロマの世界では常識です。鬱発症以前に不眠症が解消されていれば、と残念に思うのは私一人だけではない筈です。Dscf0413


2012年2月19日 (日)

都心の買い物

茅場町に暮していてよく訊かれるのは「スーパーや食料品店は有るんですか。コインランドリーは?」などという日常生活のための買い物やサービスが手近に有るかという問いです。

はい、大丈夫です。隣の駅になる八丁堀と人形町、その更に先の小伝馬町にもマルエツ・プチという小型スーパーがあります。小型というのはレジが2〜3つの小規模店舗の意味です。パリのスーパーも殆どが小型店舗で職住同一の都心部では小型が普通なのだと納得し、何となくパリ暮らしの雰囲気に浸れます。ちなみにプチとはフランス語で小さいを意味します。

スーパーで売っていないようなものは、食料品なら銀座と日本橋の三越、日本橋高島屋、銀座の松屋や松坂屋といったデパートの地下売場に、お高く付きますが、何でも揃っていますし、魚介類・乾物でしたら早起きして築地場外市場で買いましょう。

衣料品は銀座のユニクロや横山町問屋街、文房具類は小伝馬町の現金問屋シモジマ、ポチ袋や刃物や髭ブラシや手ぬぐいや贈答用の菓子類など非日常の買い物はそれこそ江戸時代から続く老舗だらけですから何処にしようかと迷ってしまいます。例えば佃煮は発祥の地にあたる佃島に今でも天安、田中屋、丸久と三軒軒を並べる様に有りますから手軽に本場の味が楽しめます。
日本橋三越にはお客様用駐輪場が有り、かつて問屋街だった横山町や小伝馬町、更には隅田川を渡った深川あたりから自転車でデパートに買い物に来るお客さんに備えています。

品揃えの豊富さ品質の上等さ、お値段が少し張るのを我慢すれば、都心暮らしの買い物は、かほど気楽で便利なものです。

2012年2月12日 (日)

茅場町

私の住んでいる中央区日本橋茅場町は都心に在ります。
縦2横1の長方形を思い描いて下さい。左上の頂点が日本橋交差点、左下頂点が銀座4丁目交差点、右下頂点が築地交差点とすると、右上頂点が茅場町交差点になります。上の辺が永代通りで左側へ行くとJRガードをくぐって東京駅丸の内北口へ出ます。右側へ進むと永代橋で隅田川を渡り深川の八幡様へ向かいます。右の辺が新大橋通りで下へ行くと築地から卸売市場へ向かい、上へ行くと水天宮脇を通り隅田川に掛かる新大橋に至ります。左の辺は上へ行くと日本橋を渡って神田方向、下へ進むと新橋から品川へと向かう昔の東海道です。

長方形の範囲内なら私にとっての散歩圏内ですから、歩いても日本橋高島屋デパート迄15分、銀座4丁目迄25分の近距離ですし、その他にも道なりに北西へ向かうと人形町から小伝馬町、南の方角は八丁堀から中央大橋で隅田川を渡れば佃島など、いずれも江戸時代から続く伝統の地名が並んでいます。

住まいの近辺は日本の金融センターですので銀行や証券会社が多く、いわゆるビル街です。つまりビル街の裏通りの住人である訳です。交通は至って便利、夕方のラッシュも3月11日の帰宅困難も無し、東京駅迄歩いて行けるのですから。美術館や演奏会場や劇場等文化施設にもデパートの地下食品売り場見物にもたいそう便利です。大いに気に入っています。

こう自己紹介しても羨ましがられる事は先ず有りません。胡散臭そうな目つきをされ、「勤めなら良いけど住むのはね.....。緑が無い、自然が無いでしょ。交通騒音がうるさいでしょ。」とたいていの場合変な所ね、といった調子になります。
なぜ都心住まいに魅力を感じないのか、そちらの方がとんと不思議なのですが。

東京街並み写真館

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2012年2月10日 (金)

邦楽の全体像を見通す最良の機会

2012年都民芸術フェスティバルの一環として『第42回邦楽演奏会』が開催されます。3月3日(土)国立劇場小劇場、12時開演の第一部と16時開演の第二部に別れてそれぞれ別のプログラムです。

邦楽には様々なジャンルが有ります。唄ものでは長唄、地歌、琴唄、浄瑠璃では義太夫、常磐津、清元、新内それに古曲の一中節、河東節、宮薗節に荻江節。どれがどれなのかそれぞれがどう違うのか、なかなか見取り図が描けません。たとえ何かのお稽古をしていてもそのジャンルのものしか聴かなくなる傾向がありますから益々よそのジャンルには疎くなりがちです。知り合いの長唄三味線のプロの方など歌舞伎で時々聴く義太夫清元以外にはまともに聴いた事が無いと言っていました。

ですから邦楽不案内の人にとっても長年たしなんでいる人にとっても、全体像をつかむ良い機会がこの『邦楽演奏会』です。

第一部で演奏されるジャンルを書き出してみます。
三曲:琴、三味線、尺八による江戸音楽のいわば室内楽。唄が入ります。
長唄:歌舞伎芝居の伴奏音楽なのはご存知ですね。
荻江節:吉原で発達したしっとりとしたお座敷長唄。古曲に含まれます。
常磐津:歌浄瑠璃の一つ。発声が素直でテンポも速くいなせな江戸趣味。
新内:江戸時代庶民に愛された歌浄瑠璃lの一つ。心中ものを主とした哀切な調べと二挺三味線の響きが美しい。
義太夫:人形浄瑠璃の伴奏音楽。語り物の代表格。
清元:常磐津から別れました。高音域をよく使いテンポも遅め、色気を重視した演奏スタイルですが、素人にはなかなか常磐津と区別が付けられません。

これだけのジャンルを著名演奏家によってまとめて聴ける機会など他には有りません。切符も東京都助成ですから全席自由3千円とお安くなっています。

お勧めします。
第42回都民芸術フェスティバル
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2012年2月 7日 (火)

ヨーロッパの香り文化(5)

食料品香り付け、薬品、化粧品この三つが香りの大きな使い道として発達して来た訳ですが、今でも食料品向きが香料の最大用途なのはご存知の通りです。しかし市販食料品の多くに香料が添加されている、これは消費者にはあまり意識されていません。業界の人間の話題になるくらいで、「香りが良いからあの食品を購入する」という意識は普通の人には有りません。

一方香りの好悪がもろに問われるのが化粧品、とりわけ香水です。そしてこの方面では自然離れが19世紀の香料科学の進歩と歩調を合わせて進んできました。フランスに於ける香水進歩(?)の跡を振り返ってみても、

1876年
ジョルジュ・ドゥ・レールがパリのサンシャルル通りで最初の合成香水工場を建てた。ヴァニリンはグラース出身の調香助手フロジェ=ラピエールが発見した。天然香料の合成代替品ヘリオトロピンやクマリンから始めた。
1888年
エドワールドレール統率で製造されたイオノンはニトロムスクは自然界に無い匂いだった。
1900年
ジャック・ルーシェ指揮のピヴェール社がフロラミーを発売。アルデヒドを含む最初の香水
1922年
シャネルNr. 5を発売。調香師はエルネストボー。アルデヒドを含むふくらみの強い香り。
1947年
DiorからMiss Diorが発売。アルデヒドで薄めたシプレー調の香り。

などなど合成香料全盛の時代が続いています。自然香料に比べて香りの持続性と広がりの大きさでは断然合成品の方が優れていますが、何メートルも離れた所から匂ったり、何時間たっても香りが失せなかったりするのが果たして優れていると言えるでしょうか。自然香料の持つ、時間とともに減衰する暖かみや控え目な香りこそが人間的な、それこそわざとらしさの無い自然な香りではないでしょうか。

アロマテラピーを香り文化の文脈で見ると、薬用と化粧用に別れてしまった香りの利用を再び統一しようとする復古の試みと言えます。復古ですから新素材の合成品は排され、自然素材の香りだけが採用される様になりました。

2012年2月 4日 (土)

法事と軍楽に三味線は似合わないのか?(2)

法事音楽にぴったりのご詠歌を見つけた後、勇ましい軍楽に向いた邦楽は無いものかと又youtubeで調べましたが、陣太鼓と法螺貝が見つかっただけでした。昔から連綿と伝わったものだとは認めがたく戦国ブームにあやかって地元の観光課などが作ったものの様です。
陣太鼓も法螺貝も攻守の合図として使われたものでしょうから音楽というより音響信号と言った方が良いと思います。決定的に欠けているのが進軍歌です。
欧米には血湧き肉踊る、程ではありませんが、景気の良い進軍歌の名作が幾つも有り今でも使われている様です。

私の知っているものでも
米国:テキサスの黄色いバラ - 南北戦争当時南軍の軍歌だったそうです。
フランス:三人の鼓笛兵trois jeunnes tambours - 1745年フォントネイの戦い以来フランス軍進軍歌でしたが今では子供が歌う童謡にもなっています。旋律が可愛らしい。
ドイツ:ホーヘンフリードベルガー行進曲Hohenfriedberger Marsch - フリードリッヒ大王作曲の由緒正しい進軍歌ですが、18世紀のものだけにおっとりしています。

youtubeにはトルコの進軍歌で『阿修羅の如く』として日本でもお馴染みになった曲も載っていましたが、肝心の日本のものは京都時代祭の勤王隊と『宮さん宮さん』しか見つかりませんでした。

原因を考えたのですが、物理的外部要因としては、日本の昔の道が狭く軍隊が隊伍を組んで進撃するのには不向きだったという点がまず挙げられます。東海道でさえ宿場を外れると道幅一間程度だったそうですから。それに日本には広い平原もありません。山坂の連続ですから進軍歌には不向きな地形です。もう一つ、日本の昔の合戦はその地形上、大規模戦闘が少なく音響信号でもある軍楽の出番を必用とせず、法螺貝太鼓程度で間に合ってしまった、という理由も考えられます。三つ目も考えられます。それは日本には金で雇われた傭兵部隊が存在せず、兵の脱走防止やいざ戦闘場面に遭遇した際の兵の恐怖感を麻痺させる明るく勇ましい進軍歌の必用が無かったという点です。何しろ16世紀以降のヨーロッパは雇い兵だらけでスイスなど傭兵が最大の輸出商品だったくらいです。「パ・ダルジャン、パ・ドゥ・スイス Pas d'argent, pas de Suisse」というフランスの諺は「金がないとスイス人も雇えない - 金がないとどうしようもない」の意味ですが、スイス人が傭兵の代名詞になっています。今でも名残にバチカンの傭兵を勤めているのはご存知ですね。

こんな事を思っているうちに日本音楽の特徴の一つに気がつきました。タコ壺棲み分け主義とでも仮に名付けておきます。Saint_roch1_3


2012年1月31日 (火)

ヨーロッパの香り文化(4)

香り文化が社会に広まるには、先ず技術上の事柄として蒸溜技法が知られていること、次いで消臭用であれ香りを必用とする状況に在ったことの二点が必用条件でした。日本にはアラビア伝来の蒸溜技法が伝わっていなかったので、香水が生まれなかった訳です。

もう一つ重視したいのが社交上の素人女性の役割です。香水が発達したイタリアの16世紀、そしてフランスの17〜18世紀は女性が文化の中心に位置した時代でした。初めは伯爵夫人や侯爵夫人といった貴族の奥方、次いで次第に余裕の有る平民身分の女性にも広がったサロン文化の時代です。タンサン伯爵夫人を引き継ぎボルテールも通ったサロンを主宰したジョフラン夫人は平民身分の女性ですし、ニノン・ド・ランクロの様な高級娼婦もサロンを主宰することができたのです。身分出自に関わらず才知と趣味が問われました。

こうして香りの趣味がサロンの中で発達しましたが、社会の中で認知されているサロン発の香りだけに、広まるのに何の阻害要因も無く、趣味が良いと言われたいが為でしょう、香水も流行を始めます。この点が素人女性を社交から排除し、もっぱら芸者遊女といった玄人女性に頼った日本との違いです。多分西欧以外の文化圏では大部分が程度の差は有れ素人女性を家に閉じ込めて社交に参加させなかったのではないでしょうか。イスラム圏がそうですし支那文明圏もそうでした。その点では社交以外なら大いに社会参加が許された日本は緩やかだったとも言えます。
いずれにせよ遊芸の玄人発の流行は世間体や社会道徳の上で制限が有りどうしても西洋のサロン発の流行の様には肯定的に評価されませんでした。

ご亭主の立身出世のために或は有利な取引が結べる様にと奥樣方がサロンにお客を招き趣味良くもてなす術を競い合った訳です。そして趣味の良さを示す香水が香り文化を代表する存在になっていきました。香水も従来の半分医療用半分おしゃれ用と未分化状態だったものからおしゃれ専用へと進化して行きます。

2012年1月28日 (土)

ヨーロッパの香り文化(3)

塩漬け肉消臭用途に香辛料が使われたのは述べました。そのアイデアをそのまま使い人間が臭う時に応用してみようと考えるのは自然の成り行きです。

ゲルマン人が臭くてローマ文明の側から嫌がられたのは書きましたが、事情は近世末迄農村部では変らなかった様です。19世紀になってもフランス人百姓は一生のうち三回しか風呂に入らないとからかわれています。生まれた時の産湯と結婚式の前日それに死んでからの湯棺。これではぷんぷん身体が臭う筈です。そして19世紀迄のヨーロッパは人口の面からは圧倒的に農村社会でした。事情は諸侯騎士金持ち階層でも変らず、入浴することは稀でした。欧州の宮殿には浴室が有りません。どの様に入浴するかというと、居間に浴槽を運び込み、台所の大鍋で湯を沸かし、召使いがバケツで何往復もして湯を運び浴槽を満たします。殿様奥様が湯加減に注文を付けると、水やらお湯やらを足して湯加減を整えます。洗い場など有りませんから浴槽内で身体を洗い、汚れたお湯は浴槽ごと運んで召使いが外に捨てます。つまり召使いがいないと入浴出来ないのです。
19世紀も後半になり統一ドイツ帝国が誕生した頃でも、初代皇帝ウィルヘルム一世が住んだベルリンの宮殿には入浴施設が無く、皇帝はウンターデンリンデン大通りを隔てたホテルアドロン(だったと思います)まで入浴しに通っていました。

入浴は年に数回として、それでは普段はどうして身体を清潔に保ったかというと、もろ肌脱ぎになり、お湯で湿らせたタオルで垢を身体からごしごし拭き取り、次いで化粧水やオーデコロンを振りかけるという方法でした。ここで香料が登場します。

2012年1月26日 (木)

ヨーロッパの香り文化(2)

 我慢しながら塩漬け肉を食べる習慣の転機は十字軍参加でした。中東に遠征した騎士諸侯がそこで香辛料を発見したのです。これを使えば鼻をつままずに貯蔵肉が食べられる.....と思ったのでしょう。こうして胡椒をはじめ様々な香辛料の使用が本格化します。ヨーロッパでは採れませんから全量輸入でした。

 以上は臭い塩漬けであれ、とにかく肉の食べられた騎士殿様僧侶といった上層階級の話。平民が香りに親しみだしたのはもっと後の香辛料入り焼き菓子の登場からでした。中東由来の香辛料は地中海を運ばれベニス等イタリアの港に陸揚げされます。そこからアルプスを越えたりドナウ川を遡ったりして南ドイツに運ばれます。これがライン川に移されてオランダ迄輸送されるのですが、この輸送路に沿って今でも古式床しいシナモン、クローブといった香辛料をたっぷり利かせた古いタイプの焼き菓子が残っています。ドナウ川の川湊リンツのリンツァートルテ、ニュルンベルクのレープクーヘン、アーヘンのプリンテ等々です。
私はレープクーヘンが好きでアロマラントのご主人に頼んで買って貰い、日本宛の荷物の中に混ぜて送ってもらうのですが、長期間おいても味が変わらないのが助かります。下にレープクーヘンの写真を載せておきました。
この香辛料を混ぜて味を濃くする習慣はドイツが北国であるだけに今でも強く残り、温めて冬に飲むグリューワインにもたっぷり香辛料が入っています。それでフランス人あたりから「味が分っていない...」と馬鹿にされています。

 塩漬け肉の消臭用途、焼き菓子用の二つの他にもう一つ、それは教会から胡散臭く思われながら、生き延びて来た薬草用途でした。こちらの方は中東由来などの値の張る材料は使えませんからラベンダーやカモミールといった地元で採れる植物が利用されました。当時のお医者さんはラテン語文献丸暗記主義で殿様階級しか相手にしませんから、平民の病気は主に女性だった医者女が担当し、近世以降は魔女だなどと言われてひどい目に遭わされてしまいます。

 香りの利用は中世〜近世には消臭、味付け、薬用の三つで、この中から次第に身だしなみに香りを使う文化が生まれてきます。Lebkuchen1_3


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